やりたくないことを極力やらない

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ネガティブなニュースを見聞きするのは、極力避けているがそれでも否応なしに飛び込んでくることがある。そういうとき思うのは、みんなストレスが溜まってるんだなあということだ。

 

私もやりたくないことをやっているとき、言いたいことがいえないとき、思うような結果が出ないとき、イライラしがちだ。自分の価値観に「これは許せない」「これはこういうものだ」などという様々なこだわりがあるからイラつくのだ、と理解していてもやはり怒りは湧くし、今体の中で白血球たちが戦ってくれているのだ、とわかっていても体調の悪いときはどうしたってストレスがたまる。

 

理解している、していないに関わらず感情というものは浮いてでてきて続くこともあれば、一瞬で切り替わることもある。うまくコントロールできる人もいるのだろうけれど、私は感情は動物的本能だから仕方がないと思う。まあだからといって、誰かを傷つけていい言い訳にはならない。

 

やりたいことをやりましょう、好きなことをやりましょうという話はよく聞くが、やりたくないことは極力やめましょうとはあまり聞かないのはなぜなのだろう。私は子供の頃からゲーム好きだから、極力ゲームをやる時間を増やすために時間を集めるという行為をよくしている。

隙間時間なんかでちょこちょこやるよりその方が効率が良いからだ。

 

時間を集めるのは実にシンプルだ。極力やりたくないこと、面倒なことをやらないことだ。簡略化し、あと他人の依頼を安請け合いしない。

 

例えば私の場合レシピを考えるのは苦痛なので、レシピサイトに頼っている。また、食後の片付けは食洗機がないため面倒くさい。料理するのは好きじゃないけど片付けは別に良いという息子に交換条件でやってもらう。また、洗濯も乾燥機付きでないので晴れた日はガッツリ干すが、雨の日は風呂場で乾かせる範囲に限る。体調の悪いときは午後にすることもある。

 

翌日までに必要そうなものは少し高くついても一番近い場所で買う。掃除はコードレスを使って気がついた時に吸う。意味なくネットを見続ける時は携帯をオフにして違うことをする。ジムに行って頭と体のリセットをし、ついでにシャワーを浴びて帰る。バス待ちの時間にブログを書く。そうやって極力やりたくないことを簡略化してやりたいことをやるための時間をとる。あと、「美味しそうだ」と思う食材を買って食べることも大切だ。スーパーなんかでショーケースに入っているちょっといいお肉をたまにでいいから買うとか。

 

そもそもなるべく充実させようとしたらやりたくないことをやる暇はないはずだ。それをすることによって自分に良いメリットがあると感じるならすれば良いけれど、わたしはそれでかなり体を壊したからやりたくないことは極力やらないに限る。こうある自分は嫌いだ、と思うようなことをやることも。我慢するからストレスがたまるのであって、我慢しないで済む方法を探せばいいのにと思う。わたしは背伸びすることもストレスになるとわかってから無理に頑張るのもやめた。無理をすると必ず寝込むほどの体調を崩すからだ。

 

食べたい物を食べて、ありたい自分でいるのがわたしは幸せだと感じるが(あるいはそこに向かうまでの過程そのものに対して)、そうでない時にいかにストレスレスであるか、効率よくやるかを考えてから動くが大切だと思う。

 

Photo by すしぱく

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