学習の効果と無駄の大切さ

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調子に乗って暴食した。しばらく健康的な食生活をしていた反動で嗜好品摂りすぎて胃が痛い。なんというか我ながらアホである。

 

健康的な生活も嗜好品もしすぎると良くないな、と身をもって何度も実感しているのになかなかなか治らない。やっぱり適度にご褒美として甘やかすのが大事だと思う。

 

自分が失敗するパターンはだいたい決まっていて、なにかにハマる→ストイックにやりすぎる→反動で退屈になってやめる、である。duolingoみたいに長時間やっても先が見えないものは最初から諦めて寝る前に布団でゴロゴロしながらやるだけなので地道に続きやすいが、下手にゴールがみえてしまうと「今すぐ達成できるんじゃないか?!」からの実際達成できる経験をしているせいでこのトラップにかかりやすい。

 

だいたいなんでも身につけようとすると、短期間より毎日少しずつやるのがいいに決まってるのに「効率化できるんじゃないかモード」になってしまう。最近なんでも効率的にやろうとするのはかえって非効率だと学習した。

 

duolingoで語学学習をするとしつこいくらいに何度も何パターンも同じフレーズを繰り返し学習することになるが、飛び級できるんじゃないか?と試しにしてみるとあまりに基本的なフレーズを覚えてなくて轟沈する。

一見無駄に見えることが、結構大事だったりするのだ。逆にこういう文の時はこうするというパターンが身についていれば多少難しくなったり新しい単語が出てきても柔軟に対応できる。

 

今気が付いたが私は結構子供なのかもしれない。子供がなんらかの遊びにはまるとすぐに上達するが、飽きるのも異常にはやい。最終的に長く趣味として持つものはまったくそれまでと関係のないことだったりする。勉強でも仕事でも遊びでも、無駄は結果的に生産的なことや創造につながっていくのかもしれない。つながっていなくても、焦ることはない。時間は結構あるから寄り道しながらくらいでちょうどいいと私は思う。

 

photo by つるたま

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