走り抜けて12月

12月に入った。

今年は頭からいろいろとありすぎた気がする。

病院での治療開始やら長年連れ添ったインコの死や祖母の死、新しいインコが我が家に来たことやパートナーの勤務先変更。どうも周りに振り回される一年であった。

まあいつものことであるが、今年はそれまでのことを大幅に改善する必要があった。

 

「あなたは優しいから」と母は言うが、放っておけないだけだ。

だいたい多くのことは自分抜きでうまく回ることをわたしはよく知っている。

自分でなければならないということはほとんどなくて、世の中うまいこと

できているなあと常々思う。

「あなたがいなきゃ困る」という言葉を私は鵜呑みにしない。

そしてそれでいいと思っている。

 

でもその一方でブログを始めたことで見ず知らずの人に見ていただけたり、

ずっと前に見ていたサイトが復活していて読者登録までしていただけたり、

そういううれしい出来事もあったので感謝している。

理想主義な価値観をもっているから、夢は夢でまだ心に秘めているが、

叶わず心半ばで死んだとしてもあまり後悔のない生活はできていると思う。

筋トレにしてもduolingoにしても自分でアクションを起こして継続していくことで

随分と変わるものだと実感している。

 

個人的には最悪死ぬかもしれんと医者に言われたから「そっかー」といろいろあきらめて遊ぶように生活しているだけなのだが、元がまじめらしいので周りからしたらうまいこと力が抜けているように見えるのかもしれない。いろいろ工夫して日々のタスクの軽減は昨年の20%減といったところだが、そもそもの話私がやる必要のないタスクもまだ多いのでそういうのは全部AIに任せたい気分である。

 

師走というのを誰が名づけたのかは知らないが、12月というのは毎年足早にすぎていく気がする。あの人は元気にやっているだろうかと思い出すのも12月だ。今年も何事もなく平穏に終われればそれだけで十分に結構なことである。今年も無事に生き残りました、ありがとうございましたと年末に神社にお参りに行けばもう翌年になる。

そういえば基本的に自分と自分の周辺の人のことしか考えないようにしているが、12月になるとやたら普段関りのない人にまで少しだけ優しくなるのはなぜなんだろう。

一年に一度くらいは抽象度を上げて自分のこと以外の他者について考えなさいよという無意識の発露なのだろうか。謎である。

 

まあそんなことを考えながら、年末に向けて食材の確保やら防寒やら掃除やらやるべきことは多い。面倒なのでやる前に作業の自動化と効率化を組み立ててから動こうと思う。

Photo by ゆーまさ

田園風景を駆け抜ける武蔵野線 - No: 25093354|写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK