親しい人からの言葉の影響

 


最近こんなことがあって仕事がきついんだよね、今なかなか休めなくてさ、という話をする時に「やめれば?」と言われるとヒヤリとすることがある。

 

なにも体を壊しているとか睡眠不足だとか、明らかに会社が合っていないだとか、嫌な奴にいじわるされてる、という話が全くないにも関わらずである。

 

何かを続けるということはたとえ趣味であってもなかなか難しいものだ。

ヒトの脳は基本的に飽きる仕様になっているため、続けるには同じ行動を続けるか、

ゴール設定をしなければならない。続けるという行為には工夫が求められるものだ。

 

話を戻そう。こちらが「やめたい」といっているわけでもなく、そういう状態でもないのに「やめれば?」と言われると本当にヒヤリとする。

私はそういう時すぐにその場で「どういう意味?」「なぜそんなことをいうのか」とたずねるが、「やめろって意味だよ」とストレートに返してくることはほぼない。

どういう意味で言ったのか、とたずね返した時点で相手に会話のボールが行くのでいった手前返さざるを得ないのである。なので大概はそのまま逃げるか、ごにょごにょいって去っていく。

 

問題は「あ、そんなこといった?ごめん無意識で。」という場合である。

これはこちらのやる気をそぐために無意識のうちに言ってるケースが多い。

例えば自分も相手より先にブログを続けていたのだけど、なにかあってやめてしまって、こちらが後からはじめてずっと順調に続いているような場合である。

自分と相手は同レベル(もしくは自分の方が上だ)と思っている相手に急に抜かれそうになるとまずいまずい!と焦るのである。

そこで自分も再度頑張ればいいのだが、できなかったりすると相手を下げることで自分の立ち位置を守ろうとする。そこでなにげない会話でちょっとでも相手が悩んでいる風な雰囲気を察すると「やめれば?」といってしまうのである。

これが結構自分から近い人に起こったりする。

 

なので親しい関係の人に「やめれば?」とさらっとでてきたときにはなにかあったんだなと思って「なにかあった?」と話を聞くようにしている。相手だって本当に悪意をもってこちらに「やめてしまえ!」だなんて滅多に思っていないのである。ただなんというか近いからこそ悔しさだったり焦りだったりするのだろう。

 

逆もしかりで私もそういう風に言わないように気を付けているつもりだが、もしかしら違う言葉で近しい人に言ってしまっているかもしれない。

応援し、自分もやろう!と思える前向きな姿勢でいたいが、応援できないときもせめて口をつぐむようにしたい。