張らない生き方

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頑張る

見栄を張る

肩肘を張る

 

普段生きてると長年の癖でついつい張ってしまいがちだけど、こういうのはもう捨ててしまいたい。書いただけでぎゅっと力が入る感じ、これってどう考えても自然ではないし、あまりいいイメージはない。

 

私たちは小学校の時から(人によってはもっと前から)張ることを繰り返しすりこまれてきた。それは昔は役に立ったかもしれないけれど、今はもうほとんど必要のないものだ。張らなくてもやっていける方法を探した方がいい。

 

かくいう私は張りまくりで一年中頑張る、肩肘を張る、見栄を張るだった。そのせいで体は全身張っていてマッサージにいったくらいじゃ改善しないレベルだった。今は体調崩した時くらいにしか体が張ることはあまりないから、だいぶ改善したけれど、そんなしょうもない張りを私は長年しょってきた。そして背負わない人をみると「なんだあいつ」と言わんばかりに見下していた。今思うとすごく嫌な人だ。

 

「今回は無理です」「今日は体調が悪いので休みます」「どうしても痛みが我慢できないから痛み止めを処方してください」「こういうことをされるのは私は嫌だ。」「手一杯なので他の人をあたってください」そんな当たり前のことが私は言えなかった。発熱して39度の熱でどうしても仕事をやすまざるをえないとき、「すみません、本当にすみません」と電話口で謝罪し、次の出勤日に菓子折りをもっていっていた。

 

「役立たず」「普通にやりなさい」「これくらい我慢できるでしょう」そう言われれば言われるほど、ぎゅっと体に力が入って、それを打ち返すようになんでも一人でやるようになった。今だったら「うるせーバーカ!あっちいってろ、しっしっ!」で終わりだが、頑張って文句も言わない自分ってえらい、と思い込んでいたのだ。なにが頑張って、文句も言わない自分ってえらいなんだろう。どこもえらくはない。暴力で返さなかったのは賞賛に値するが、他はなんもえらなくない。言いたいことも言わないでストレスへの対処もしないで、「私は頑張ってる。えらい。」なんていい加減にしろと言いたい。だいたいそれで成績が良かったならとにかく、ただの便利屋扱いでごみみたいに言われてそれについてへらへらと笑ってごまかしていきていた。

 

今は何も張ってないから気が楽である。見栄を張る金もないし、肩肘を張る筋力もない。嫌われてもいいやーと思うから知らない人にも正面から話せるようになった。ただ時々見栄を張りたがる自分が現れる。何にもない自分が認められなくて、必死に背伸びしたくなるのよな。でもそういうとき「これやってるのが子供だったらなんて言う?」と自分に問いかける。すると「まあこのまんまでいいか」という気になる。私には癖があって内側の人であればあるほど張るのだ。家族でも関わる頻度順にだいたい張る。家族コンプレックスとでもいうのか、いつも「叱られる!比較されて馬鹿にされる!」とかまえてきたせいでなかなか抜けない。今のパートナーにはそれはないが、時折張りまくり、パートナーにも息子にも「もういいから気兼ねなく休みなよー」と言われてしまう。そしてそういうときはだいたい体調を崩している。

 

これを読んでいるあなたには好きなことがあるだろうか。私はゲームをするのが大好きだ。やっていないゲームでも新作ゲームはほぼ毎日チェックしているし、ソシャゲでも無課金でランキングに食い込むくらいにはやりこんでいる。私は好きだからやっているのであって、頑張ってはいない。夢中になると頑張るはまったく違うものだ。

 

張らないと価値がない、と私も随分思い込んできたけれどいよいよそれができなくなってやめてみたら思いの外楽になった。とはいえまだ、病気やプライドと闘っているところがある。休みなさい、間違ってるよ、と体が教えてくれているのに「張って」いる。ま、意識に上がっているだけよしとしよう。

 

Photo by すしぱく

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