一人で頑張らない

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今日はもう12/23で、今年も終わるまであとわずかだ。今年はバタバタした一年で、通常なら終わるべきことが終わっていない。特に家の大掃除なんてここ12年はやったことがない(こまめに掃除していた)のだが、今年は大掃除いるやん、、状態だ。とりあえず水回りの掃除は三時間で終えた。あとは掃き掃除とガス周りをやればなんとかなりそうな感じである。

 

今年一年頑張らない年でした、と書くのは変な気がするけれど実際頑張らない年だった。やりたくないことを効率化し、義務感だけでやっていた人付き合いをやめた。やめても私に興味を持つ人はいるところにはいる、のだと実感している。ありがたい限りだ。

 

私は長年周りが手伝ってくれないから、一人でやらなきゃ、手伝ってと言ってもやってくれないからもう自分一人でやる、と勝手にすねていたのだが、「めんどくさいなー。でもやらないともっとめんどくさいなー。あーめんどくさい。」連呼しながらやったり、「やるよ」と巻き込むことで案外人は助けてくれるのだと気づいた。意思表示大事。

 

誰も助けてくれないと拗ねていた過去の自分にあったらなんでもがまんするからだよ」と今の私は言うだろう。ストレス発散に筋トレし、サーティワンの毎月変わる新しいフレーバーを気まぐれに食べ、ローソンのカフェラテをごくごく飲んで、読みたい漫画を買って読む今の私は幸福度がそこそこ高いと勝手に思っている。先日ファミレスでランチを食べ、ドリンクをガンガンに飲み、デザートを食べて、スマホゲームをしながらまだ何か頼むかメニューをみていたら隣の高校生に「すげーなあの人。超幸せそう。」といわれた。「俺もあんま金ないけどデザート食べよ。見てたら食べたくなったわ。」「俺も〜」とか言いながらデザートをワイワイ言いながら食べてておもしろかった。グッジョブ、高校生。というか生きてればそれなりに我慢しなければならないこと(税金支払いとか、地域の清掃、日々の買い出しなど)が自動発生するうえに今の私は「え?もしかして悪化したら死ぬやつ??」と体に爆弾を抱えて生きているのでこれ以上一人で頑張る理由がない。

 

で、頑張らない私を見て他人はなぜか「頑張ってるね」「手伝おうか」「はい、これどうぞ」と次から次へとお菓子やらお高い焼き芋一箱やらくださるうえに、「ここにこんな店があって」「こんなイベント近くでやってるのよ」「しっかりしてるね」と言われるので訳がわからない。必死になってる時はネズミでも見つけたが如く塩対応なのに不思議だ。適当なやつほど可愛がられる理論と私は勝手に呼んでいるが、人は見かけじゃわからないので私は大体どの人にも同じ態度でいる。

 

一人で必死になってやってる時って周りが見えていなくて、無意識にカリカリして、どうせ自分は、、となってる割には周りには真逆に見えているし、言わないのにわかってくれなんて多分無理な話だと思う。そしてまだ一人で頑張らなきゃ、って踏ん張っている人がいたら私は「早くできないことはできないと意思表示したほうがいいよ」と思うし、「一人でやらなきゃならないならやり方考えた方がいいよ」と思う。

 

大掃除だって昔はそれこそ三日くらいかかっていたかもしれないけど、今はやろうと思えば半日で終わる時代だ。やり方も簡単に調べられるし、100均やホームセンターでいろいろそろう。これからも楽にやれる方法を継続して模索していこうと思う。

 

Photo by つるたま

過労でぐったりした牛人間のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20160336084post-7334.html