終わりがないと苦しいと思う。
最近のソシャゲが疲れるのは、少し前のハードありきのゲーム(ファミコンとかプレステとか)と違って終わりが見えないからだ。
だいたい5〜7年でサービス終了することが多いが、10年つづくゲームすらある。
10年も同じゲームをするかと言われたらはなはだ疑問である。
終わりがないということでいえば、日々家事をしながら思うのは家事というものが一生ついてまわることだ。つまり生きている間家事というものは必然だということ。掃除も洗濯も料理もある程度の年になったら自分でどうにかしなければならない。運良く誰かに任せたり、機械に任せたりできたとしてもよほどのことがない限りその責任はずっと自分にある。
終わりのない家事について考えるのはとても疲れることだ。
けどいつかはそれすら終わりが来る。すべての生命に終わりがあるように、人も死ぬようにできている。
90年から100年。短いのか長いのかよくわからない時の中で生きるためにすることはたくさんある。家事なんかやらずに生きられるなら私だってそうしたいし、肌呼吸と日光浴で生きられるなら最高だけど、清潔な環境で生きるためには掃除や洗濯はある程度必要だろう。
機械が労働をしてくれる時代が来ても、人はきっと料理を食べたがるし、手の込んだ掃除や洗濯をしたがるのだろうと私は思う。
日々のことにひどく疲れを感じる時、終わりが見えないからだと思う。だったらその作業に自ら終わりを用意すればいい。ある程度のとしになったら宅配や家事代行に頼るのもいいだろう。あるいは家事休みの日を作るのもいい。こういう体調の時はやらない日、褒美を定期的に与えるでもいい。食事時や睡眠時にゲームを一回中断するように何度だって休み休みやればいい。
終わりを意識すると少しだけ気持ちが楽になる気がする。
photo by Redsugar
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