生きてるうちに言葉を交わそう

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あらかじめいっておこう。

今回の話は暗い話だ。

 

生きててよかった、と思うようなことが歳を重ねると増えてきたように思う。自分のことであれ、他人のことであれ。

ちょっと前まで長生きしてもなあ、と割と未来に絶望しかなかったのだけど、病気してから「あなた最悪悪化したら死ぬよ」と医者から言われて以来妙に人生に覚悟が決まってしまった。

不思議なものである。

 

今でこそ我慢耐性はあまりないが、10代20代の我慢耐性は体力もあってそれはもう、ひどい我慢をしまくっていた。だから若い人たちしないでいい苦労や我慢をしているのをみると、そんなことせんでええよ、と言いたくなるし近い存在なら言っている。あと、できるだけ自分にとって楽な方法を探せ、とも。

我慢しまくって病気したり、死んだりするのは本当にナンセンスだ。

 

30代前半の時に私は文字通り親友と呼べる人を自殺で亡くした。前日までたわいもない話をメールでしていたのに、そんなに悩んでいるとは思わなかった。私より頭が良くて、器用で、賢い人だったからまさか、と思う出来事だった。

最後の言葉は私への感謝が一通のメールにつまっていた。

親友の死を受け入れるのに私は二年かかった。その数年後、縁あって知り合った心理学を共に学んだ人が末期癌で亡くなった。死ぬまで私はその人がガンだと知らなかった。そんなに仲良くもなかったのだけど、私が外部でやっていた心理学のワークショップにも来てくれたり、コーヒーを一緒に飲んだりして、友人ではないけど知人以上だよな、という関係だった。

そんな人が亡くなる一週間前、「あなたはどうしてそんなに強いの?」と聞いたことがあった。多分会話の文脈から精神的にタフだと思われたのだろう。

私は「強いと思ってないからじゃないかな。私自身は強いとか弱いとか考えたことないや。あはは。」と笑って返した。その時、やけにはっきりその人は納得したような笑顔でうなづいたのだった。後から知ったが、もうその時には痛みが酷くて座って話を聞くのもやっとだったそうだ。亡くなるまでの一週間、直前までその人は穏やかな笑みを浮かべて過ごしていたとご家族から聞いた。

 

私は彼らに対する返答や態度が適切であったかいまだにわからないでいる。

 

わからないが、ひとつだけ言えるのは「思ったことがあるなら生きてるうちに言葉を交わそう」だ。死んでしまったら何も言えない。

心理学仲間のその人は家族に私のことを「頭がきれて、おもしろい友人がいる。その人をみてると私も頑張りたいって思うんだ。」とよく話していたそうだ。その人には申し訳ないけど、生きてるうちに私に直にそう言ってほしかったなと思う。

 

まあそんな私もいよいよもしかしたら死ぬかもな?てな状態になってきて、だからこそ誰かが事故にあった、病気して手術した、と聞くと「生きてるの?」と確認する癖がついてしまった。そして相手が誰であれ、言いたいことはきちんと話すようになった。いつ死ぬかもわからないからこそ、少なくとも自分に誠実であろうと思うようになった。だから、「長生きしてくださいね」「親より長く生きないと」なんて言われると「お気持ちだけいただきます。そうできたらいいかもしれないけれど、未来のことなんて私にはわからないので。」と謙遜しつつ、「そんなの知らんがな」とすん、とした顔をしている。だって本当にわからないから。

みんな本当に自分が明日死ぬかもとは思ってないんだな、と思うことすらある。

 

毎年この時期になると、親友の命日もあって彼らを思い出して似たような記事を書いてしまう。 せめて生きてるうちに言葉で残そう、と毎年思う。

 

話したい人や話したいことはきちんと話しておいた方がいいよ。ほんと、マジでね。