どうせするなら楽しい妄想を

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常々思っていたことではあるが、ネガティブな妄想癖、あれはいったいなんなんだろう

私も体調が悪いのが続くとネガティブな発言をしやすくなるが、どうして楽しい妄想もしくは発言をしないんだろう

 

ということを心理学を学んでいだ時によく考えていた。どうせ自分はだめだ、失敗ばかりだ、価値がない、というのが根拠のない事実(だいたいは強い立場の人から言われた虚言)であるのは本人が何よりもわかっていることで、もしそうなら逆をやったらどうなるのか(いわゆるアファメーション、自己暗示)わたしはとても興味がある。

 

で、試しにやってみた。「私って天才」「私って無茶苦茶金銭的余裕がある」「私ってめちゃくちゃ有名で美人」とにかく自分がこう言われたら嬉しいなと思う妄想である。妄想だから自由にすればいい。なりたい自分をあたかもなったかのように想像しながらするのが効果的らしいが、天才になったことがわからないのでとりあえず言葉をくりかえしたり、天才と呼ばれてる人たちの伝記や情報に触れるようにした。

 

結果どうなったかというと、すごく客観的に物事を見ることができるようになった気がする。悪く考えすぎないというか、よく考えすぎないというか。暴言はかれても「ああ、なんか嫌なことあったんかな?体調悪いんやな?お疲れさん、でも暴言はあかんからあとで内心フルボッコにしておくな?なんなら正式な手順に従って訴えるよ。」ってな感じだ。まあそんなこと考えてる時点で(ついでにどういうふうな手順を踏めばいいか調べたりしてる)、私にはそんなにポジティブな妄想は必要ない気もする。

 

少なくともネガティヴに自分ってダメだあ!頑張んなきゃ!自分なんて、って発言したり妄想するよりいいんじゃないか。ネガティヴな感情がいけないんじゃなくて、ネガティヴな感情をそのまま吐露する必要ないんじゃないかと思う。だって、価値がないとか他人の物差しであることが大半だし、少なくとも未来ははかれないのだから

 

とはいえ、普段使う言葉は習慣だからいきなりは難しいかもしれない。そのための妄想であり、なりきりごっこである。うまくいかないときに「ああ、もうだめだあああ!!」と叫んだところで多分それ以上何も解決しないし、かといって「大丈夫!わたし天才だから!」と思ったところでやっぱりすぐには解決はしないだろうが、少なくとも心持ちが違う気がする。天才ならば仕方ない、ご飯でも食べて寝るわ、ってな感じでご飯食べて寝たら案外いい案がでたりね。脳はクエスチョンについて答えが出るまで追い求める仕組みになってるらしいから、時間が解決してくれる、は案外正しいのかもしれない。

 

なんにせよどうせするなら楽しい妄想の方が私はいい。トラウマはなかなか消えないけど、未来の自分は変えられると信じて生きていきたい。