見れば見るほど

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遮光器土偶ってやつは不思議だ。ヒトなのか、植物を模しているのか、はたまた宇宙人なのかよくわからない。

服?の模様は意外としっかり描かれているし、あと中を空洞にして割れずに焼く技術は結構難しいらしい。

 

教科書で遮光器土偶をみるたびにどうみてもメガネっぽいと思っていた。どうして目を閉じているのかわからないが、サングラスだったらかっこいいよなと思う。

 

考古学者たちは女神信仰だの植物を模しているだのいう。本当にそうなんだろうか?だとしたらなんかもう少し手心があってもよさそうだ。今でも観光地に行くと謎の土産物があるがあの類のものなんじゃないか。時々可愛くもないが人気の出るゆるキャラがいるけど、遮光器土偶もその類だったとしても違和感はない。

「わたし、シャコちゃん。」とかなんとかキャッチコピーらしきものと一緒にご当地で販売されていたかと考えると面白い。で、近辺で類似品が作られたり。

 

歴史的遺物をみるとき、よく信仰を結びつけて考えがちだけどはたしてそれは正しいのだろうか。アリストレスの時代から今まで大して考えていることは変わらないのにどうして昔の文明は今より野蛮的かもしくは発展しているのだろう。もし今と変わらない人たちが暮らしていて、今と変わらない生活をしていたのだとしたらとわたしはいつも博物館にいくたびに考える。

 

私たちが時々変なことを思いついて形にしてしまうように、当時の人たちも変なことを思いついて形にしたのかも知れないと考えるとなんだか親近感がわく。冗談で作った適当な代物が何百年か後に「これはその当時信仰されていた神を模したに違いない!」「いや、ちがう。これは実はハイテクノロジーなのだ!」とかなんとかいわれてX線を当てられたり、水に沈められたり、それっぽい資料と照らし合わされたりすることを想像したら笑えてくる。

ガチャガチャの景品なんて大変である。「元々大きかったものを小さくする技術があった!」とか言われかねない。よくわからない動物が二本足でたったミニフィギュアなんて「古代にはこんな生物がいた!」とかなんとか言われて本気で調査されるんだろうか。

そうなったらおもしろいから私は二本足で立っているピンク色のウーパールーパーのミニフィギュアを大切に保管してみようとおもう

 

あとなんで縄文時代毛皮着てるんだろう。

どう考えても風邪ひく。毛皮着たマタギみたいな人が緻密なフィギュア作っている余力なんてあるんだろうか。どう考えてもフィギュア作りより服作りか安全な食い扶持確保のほうが先じゃないか。モリで魚とか動物狩ってる場合じゃない。遮光器土偶をつくるときにはそれなりに衣食住が確保された状況で作られたんじゃないだろうか。「あんた、また変なもん作って!ご飯冷めないうちに食べな!」「だってこれ結構な金(交換手段)になるんだよ!もうすこし!待って、ごはん片付けないでよ〜〜」とかいう会話がそこにあったりしたのかもしれない。

 

そんなことを考えていたらもう昼だ。

縄文人よろしく私も小麦をこねて成形したパンに飼育された鶏の卵をゆでて潰したものでも食べることにする。ようはサンドイッチだ。

今も昔も動けば腹は減る。

そして遮光器土偶の瞳よろしく泥のように眠る。

 

見れば見るほど遮光器土偶に親近感がわく。