理不尽な八つ当たりと許さない心



何かの折に理不尽な八つ当たりをされるとずるずるとひきずってしまいやすい、

方だと思う。だと思う、と書いたのは最終的に「理不尽だと感じた自分」と「八つ当たりという形で攻撃した相手」と分けて考えることで、まあ、生きてりゃ忙しい時とかうまくいってないときとかいらつきはするよな(でもまあ八つ当たりは大人げないよな)というところに収束するからである。

え?じゃあどうしても許せないことってどうしてるの??と思われるかもしれないが、私は基本的に許したくないことは許さないタイプだ。

具体的な復讐もしないし、外からクレームをつけたりもしないし、SNSで拡散したりもしない。ただ許さないのである。

私はこれを心に鬼を飼う、と勝手に名付けている。

許さないというのは怒りであり、悲しみであり、憎しみである。

当然これを持ち続けることは心身に負担がかかる。

だからよほどのことでなければ論理的に精査して、サーティーワンのアイスでも食べて次同じ事されたらこうする、というのを決めるだけだ。

ただどうしても個人的に許せないことは存在する。

どうも私は「許す」という行為についてあまりよく思っていない。

口先だけで謝られることが多かったし、「本当に申し訳ありませんでした」などど深々と頭を下げられたのは数えるほどしかない。

そういうわけでいかにして短気でキレっぽい自分の怒りや憎しみをコントロールするかを考えてきた。結果、許せないことは許さないというところにおちついた。

けして褒められたことではないけれど、そうしなければ私はとっくに犯罪者になっていると思う。私にとってこの世界はすばらしいと同時にあまりにも理不尽な世界だからだ。

 

よく過去のことは許しましょう、水に流しましょうなどといわれるが私にはそれができない。ゆえに例えば過去の自分の恥ずかしい失敗を公的な場で誰かに話されでもしようものならその発言を私は許さない。自分以外の他人が自分に恥をかかせた、という事実そのものが私の自尊心をひどく傷つけるからだ。幸いすぐに許さないことはなく、カウント性かつちょくちょく「そろそろあかんねん」とにこにこしながら針を刺すから「あいつは怒らせるとやばい。触らんとこう」となるし、本当にだめなときは「うん、あかんな。」と真顔ではっきりその場でいうし、その場に応じて第三者に入ってもらう。逆に誰かが同様に「許さない」と思うのも私はまったくかまわない。

 

許さないのも体力気力がいるな、手放せたら楽だろうなと思いつつ、私はまだその域に行けそうもない。というか許したくないことを許してしまうとその時傷ついた自分を裏切る感じがする。ようは自分で自分を慰めるために私は「許せないことを許さない」(ただしなにもしない)ことで心の平和を保っている。自分に八つ当たりして傷つけた人たちは今日もそんなことを知らずどこかでのうのうと生きていて、頭がお花畑だな、と妄想することでにっこりする自分がいる。私も許さないだけで具体的に何かをするわけでもなし、相手も被害者にならなくて済む点ではいい方法だと私は勝手に思ってるのだけれど健全な考えでないことは明らかである。

 

私は反撃できる強みをさほどもっていないし、かといって被害者面をして「私はかわいそうです」「私の考えていることは正しい」「間違っているのは相手だ」という勇気はない。考えれば考えるほど多くのことはグレーなのである。我ながらぬるいなと思うが、誰かを深く傷つけたり、逆に傷つけられたりという経験をしているからそう思わざるを得ない。それなりに生きてきた人なら多かれ少なかれそうなんじゃないかなと思う。心に鬼を飼う以外のいい方法が見つかるといいなと思いつつ、いろんな理不尽がどうでもよくなるほどの夢中になれることをやれたらいいなと私は思う。

 

Photo by ガイム

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