うそつきな言葉たち

言葉は一番うそをつく、と心理学を学んでいるときに習った。自分でコントロールできるからなのだろう。

逆に一番うそをつけないのは目であり、その次に手足の先らしい。たしかにイライラしているときやソワソワしているときに、言葉ではなんとでもごまかせるが目や手足の先はごまかせない。

 

人は日々言葉だけで対話しているわけではない。むしろ言葉以外のところの印象が大きい。(話し方とか声が高いか低いかとか、外見的なもの)それ故に話を聞いていても、相手が聞いている態度にみえなければ「聞いてるの!?」という反応になったりする

まあこれも経験(学習)によるものが大きくて、言葉以外のところの反応がそうはみえなくても話をいつも通りにしてみたら意外と通じたりする。

 

けれども言葉がうそつきでよかったと思うことも多い。理不尽なクレームを言われたとき、内心で傷ついて「ふざけるなよ!?」と思っても冷静なふりができるし、なんとも思っていない人の不幸に対して「それはご愁傷様です」と取り繕うこともできる。よくはないのだろうけど、なんとかその場をしのぐには言葉は便利だと感じている

 

その点ブログというのは言葉一本の世界だ。

小説みたいに現実にはない想像を書くこともできるし、ひたすらログ(記録)のような使い方もできる。嘘も本音もつき放題だ。

 

どんなsnsでも最初にプロフィールを書きましょう、と言われるが私はあえてプロフィールを書かない。書いたらそういう固定概念で見られることをよく知っているからだ。だから長々とすごい経歴のプロフィールをみると「本当かよ」と疑ってしまうし、「だからなんなの。文章読みづらいけど。」と思うことがしばしばある。私はブログの世界くらい役割のない自分でいたいし、日常ではなかなかできないことをしたい。

あと個人的に謎な人でありたい。

 

ブログの世界くらいなりたい自分になればいいじゃん、というのが私の考えだ。

私は愚痴を吐くためのブログはあまり好きでないけど、そうすることで楽になるならそれもいいのかもしれない。

 

だから今日も私は自由に想像し、選んだ自分で文章を書く。

はてさて、これは本音か嘘か。

それは読んだ人に任せることにする。