母方の祖母の葬式の打ち合わせから今回初めて参加して、思ったことがある。
故人とはまったく関係のない他人様が、通夜や葬式や火葬まで手伝ってくださるありがたさだ。
残された遺族、特に喪主というのは本当になく暇もないほどあわただしいなかで手続きを進めなければならない。火葬場も混雑状況によってはすぐには無理な時もある。
無事葬式をどうするか打ち合わせが終わってはい、後はお任せしますではないのである。
実際私の母もその多忙さから疲れ切ってしまい、最後の晩は私一人で寝ずの番をすることになった。睡眠不足で疲れた体に朝イチで温かいコーヒーをだされたとき本当にほっとした。
化粧をしてくださる方、司会をしてくださる方、お茶を出してくださる方、ピアノを弾いてくれる方、お坊さん、そして火葬場で遺体を焼いてくださる方。本当に本当にありがたい。
できたら一人一人の手を握って感謝を伝えたい。他人様がいなければ、私たちは人1人最後の後始末もできない。
葬儀屋さんも火葬場の職員ももちろん仕事だから淡々とやるだけだという人もいるが、私は本当にありがたいと思う。今回化粧をしてくださった方の1人と火葬担当の1人はまだ20代にみえた。精神的につらくないのか、と思うところもたくさんある。けれど本当によくしてくださった。
死に携わる人だけでなく、他人様の存在は本当にありがたく思う。コンビニもスーパーもバスの運転手も学校の先生も専業主婦も市役所もごみ収集も、いるからこそ社会は成り立っている。みな、誰かが誰かを支えて、支えられて生きている。役に立っていない人なんていない。
生きるだけで使われているそのお金はつまるところまた違う誰かを生かしているのだ。
この場を借りて全ての他人様に「ありがとう」と伝えたい。