自分で淹れたらもっとおいしいよ

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特別お題「わたしがブログを書く理由

プレイヤーになりたかったから。

 

他人の書く文章を読むのが好きだ。小説であれ、エッセイであれ、Xであれ、ブログであれ、誰かの書いた文書を読むという行為そのものが。

 

コーヒーをカフェで飲むように、様々な文章を読むというのは実に味わい深い。あっさりした文章、テンポのよい文章、おもしろおかしい文章、生活感あふれる文章。文章というのは頭の中に浮かんだことを選んで「書く」からなおさらおもしろい。話す時に抑揚やリズムをつけながら話すように、どんなふうに表現にするのか話すこと以上に個性が出やすい。

 

自分が書く側になったらどんな気分になるのか、を考えたことがなかったわけではないけれど、表現者になるとは思ってもみなかった。たくさんの表現者であふれているのに、自分がわざわざ表現者になる必要性が感じられなかった。

 

あるカフェでドリップばかり飲む私に声をかけてくれた店員さんがいた。「お客さん、毎回本当においしそうに飲みますね。」「本当においしいよ」私は返した。「そんなにコーヒーが好きなら自分で淹れたらもっと美味しいよ。

その時までわたしはコーヒーは他人が淹れてくれたのを飲むばかりでドリップはおろかインスタントすら自分で淹れたことがなかった。

もっと美味しいコーヒーが飲めると聞いて、わたしはすぐにコーヒー講座を受けて器具を揃えていれるようになった。店員さんの言っていたことは本当だった。自分で淹れたコーヒーは他人が淹れてくれるコーヒーより、毎日色も味も違って美味しいし楽しい。

ブログも同じだ。読むばかりで、心のなかで囁き声がした。「書けばいいのに。もっと楽しくなるよ。

今書いていて思う。文章は毎日違う。その時に考えていること、感じていること、季節や体調の変化、折々の節目。それらを選んで文章にするというのはとても頭を使う。できた文章を読み返してみては納得いかなくて一から書き直す時もあるし、勢いで書き切ることもある。過去に書いたものを読むとその時の自分がどんな感情で何を考えていたかありありと思い出せる。

変化の中に生きていることが書いていると深く感じられる。

 

表現することを私はどこかに置き忘れて、ずっとそれきりだった気がする。笑わなくなって、小さく静かに生きて、それでいいと諦めてきたのだ。ブログを書くようになって、自分を表現するようになって、プレイヤーとして立っているのを感じている。子供の頃、野原を冒険して花や木や虫を夕方まで追いかけて探したように。わくわくしながら。今日も日々を暮らしながら言葉を探し、文章を書き綴っている。