小説や漫画を買うことにとても戸惑いを感じる。
実用書や専門書と違って、その本を読んだからと言って何かを学べたり、つくれたり、知識が増えたりしないからだ。(と勝手に思っていた)
小説や漫画が嫌いなわけじゃない。
樫木祐人さんの「ハクメイとミコチ」、天野こずえさんの「ARIA」はアニメからはまって漫画を購入しているし、何度も繰り返し読んでいる。上橋菜穂子さんの「獣の奏者」「精霊の守り人」はヘビーローテーションして全巻揃えたし、夏川草介さんの「神様のカルテ」「本を守ろうとする猫の話」は好きすぎる。
稲垣理一郎さんの「Dr.STONE」を読んで科学ってむちゃくちゃおもしろいやん!となったり、清水茜さんの「はたらく細胞」はこんなに面白いマニアックな漫画があるのか!と驚いた。体の中の仕組みを覚えてしまうくらいにははまった。最近では西修さんの「魔入りました!入間くん」も続きを楽しみにしている。
とはいえ、私の本棚にあるのは脳科学とか生物学とか心理学とかオペラの脚本が鎮座している。とりわけ脳科学と心理学の本が大半を占めていて、気軽に読めるとはいいがたい。名著や今はもう買えない本ばかりで内容が濃いのでうかつに捨てられない。
最近は本も高いので気軽には買えないからなおさらだ。頭が悪いのだから勉強の役に立たないものを買うな!と言われて育ったこともあると思う。小遣いで漫画と小説を買いそろえたら、引っ越しの時に親に勝手に譲渡されてしまったり、入学祝でもらった図書券で漫画を買って叱られたりしたので今でも本屋で漫画を買おうとするとどうしても買えないのだ。脳機能学や心理学的にいえば「すりこみ」であり親によってできた「漫画は買わない(買ったらひどい目にあう)」という理不尽な信念システムである。漫画や小説が役に立たないとか、今なら理路整然と反論してやるところである。ドクターストーンやはたらく細胞みたいな漫画を小学生のうちから読んでいたらたぶん理科の成績はもっとよかったはずだ。
悲しいことに私の両親は漫画で覚えるシリーズは一切購入を許さなかった。
そんなわけで心理抵抗を減らすために漫画や小説は電子書籍で少しずつ、お金をためながら余裕があるときに買っている。紙の本大好き派の私が。
そんな私の手の中に今「マシンフッド宣言」がある。
一か月前大型書店で偶然見つけてしまい、裏を見てずっと気になっていた小説である。AI、アクション、元軍人女性。読みたい、今すぐ読みたい。おもしろいに決まってる。しかし、文庫本の上巻一冊で税込み1320円もするのである。
ぐぬぬ、、と足踏みしつつ一か月迷いに迷った。震える手を抑えながらレジに向かう。
購入を終えると震えはとまった。
「なにこうたん?」喫茶店でコーヒーを飲みながら買ったばかりの本を読む私にパートナーが声をかけた。これ、と表紙をみせる。「げっ、文庫本なのに1320円もするの!?あなた好きな学者の新刊買うっていってなかったっけ?」「一か月迷ったんだよね。まあ好きなジャンルだしハヤカワだし。」「珍しいな小説買うなんて。」うっ、見抜かれている。パートナーも相当な読書家だから家にある本は把握している。
もちろんそんなことでパートナーは責めたりしない。パートナー自身私以上のコレクターで電子書籍に大量のシリーズ物をそろえていることを私も知っている。
「マシンフッッド宣言」はまだ読み始めたばかりだが、続きを読むのが楽しみだ。
慣れない文体を考えながら、想像しながら読むのはとても楽しい。
続きが気になる本があるのは幸せだ。小学生に戻った気分を感じながら、次に読む時間を楽しみにしている。