0と1

行動する、ということはすごいことだと思う。

頭の中で私たちは無限の想像ができるが、頭の中のことを実行しようとするとき

生きるか死ぬか、みたいな状況でも意識的にせよ無意識的にせよ日々私たちは選択して実行している。

 

私は「0になにをかけたって0だろ。だからお前がなにをがんばったって0だよ」と言われたことがあるけれど(今考えたら無茶苦茶失礼な発言だなと思う)、その時の私が何を考えたかと言えば「本当か?」「なにかをかけるという行為はすでに1が発生しているのでは??」ということだった。

 

世の中には何かを考えたり思いついたりしてもやらない人がいる。

私自身そういう選択をとることがたくさんある。けれど何も実行しなかったら0のままだ。そう教えられてきた。だけど考えてみてほしい、何かを選択するという行動を私たちは日々しているそれはもう0じゃない。1だ。それが何も生み出さない、変わらないと知っていたとしてもだ。

 

私は頭の中でいろんなことを考えたままにして言葉にしてこなかった。

言葉にするには不十分である、と長年感じていたからだ。

語彙力の問題でも知識量の問題でもない。

今はまだその時じゃない、今はまだ話したくない、とそれだけは頑なに選んできた。

それでよかったのだと思う。今書きたいことがたくさんある。書きながらあふれてくる。書くことが喜びだ。うまくいかないことさえ楽しい。

書きたくないときに書いていたらきっとこんなに書けなかったと思う。

 

他人から見れば0でも皆選択するという行動(=1)をしている。

私たちはいつか死を迎える。0から1になって、また0に戻るわけだ。

でもそれまでは1を積み重ねていってもいいし、ほんの少しの新しい行動だけで満足してもいい。それは自由だ。

 

さあ今日はどんな1を選択しようか。