バグった自分を観察する

今日は朝から記事を書いては消し、書いては消しで、もう午後に書こうとしたらやっぱり書けなくて、もういいや、夜に書こうと思ったらこの時間までかかっている。

20:17。私はいつもブログのタイムリミット時間をだいたい21時に設定している。それ以降に書いてもしっくりこないことが多いからだ。

 

だいたい書き始めれば書けることが大半なのだけど、本当に一文も思いつかないときもある。今日はまさしくそれだ。youtuberよろしく「はい、みなさん、こんにちは。」とさわやかに挨拶してスマートに文章をかけたらよいのだけど、そんなテンションにすらなれない。

 

こうも書けないと書けないこと自体がなんだか楽しくなってくる。

書けない自分を観察する感じ、といえばいいだろうか。

焦っている自分、くだらないことを考えている自分、もう横になりたい自分、夜食を食べたくなってきている自分・・そういう自分を意識しているのはなんだかおもしろおかしい。ゲームのキャラクターがバグを起こして時々変な動きをすることがあるが、まさにそれを自分に見ている感じだ。

書くという行為をしなければならないのにカクカクブンブン支離滅裂な思考や行動をしているのである。多分すごく疲れているんだと思う。脳がブーンとうなっている気がする。耳鳴りまでしてきて、そういう体の症状も含めて観察するのはすごく面白い。

そういえば過去に仕事のし過ぎで毎晩幻聴と悪夢に一か月ほどうなされたことがあったのだが、それも途中から「どうせなら観察してやろう」という気になってしまい、観察から変化を加えることはできるか考え始めたらいつの間にかその症状がなくなっていた。

 

なんというか観察すること自体が私は結構好きなのだ。

幼少期から生物や草木や空の流れを観察するのが好きだったし、もう少し大きくなってからは人を観察するのが好きになった。さらに年を重ねて心そのものがどういう原理で動いているのかに興味はシフトした。

料理をすることも数学であり、国語であり、芸術である、と思っているところがある。

音楽を聴きながらも気が付くと声の色だとか特徴だとか、楽器編成だとか考えている自分がいる。もはや癖だ。

 

観察しているといろんな関係性が見えてきて、オーケストラが交響曲を奏でているかのような、自分と世界が一体化するような気分になることがある。

 

だから今書けないで焦っているけれど、それはそれ単体で起こっているわけじゃない、いろんなことが結びついてそうなっているんだと思える。

書けない自分とそれを観察する自分の意識が、どこに着地するのかまだみえないけれど、未来が楽しみだ。過去から未来はみえないけれど、現在から過去をみるとき(思い出すとき)すべてがつながっていることがよくわかる。

 

バグった自分はどこにつながっていくのだろう。

ゆっくり妄想しながら今日は終わりにする。