何もしなくてもいい

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「今日は一日なにしてたの?」という質問が好きではない。なにかをしていようとしていなかろうと個人の自由じゃないか、と思う。これが「今日暇なの?」「今日は忙しかったの?」ならまだわかる。暇なら遊びか何かの用事かなと思うし、忙しいなら仕事の状況や疲れ具合を聞いているのだと推測できる。だが、「今日は一日なにをしてたの?」には会話の目的が見えない。具体的に何をしていたのか興味を示しているにしても「自分は〜してたんだけど」と先に続けるのが筋であって、相手がなにもしていないとこたえたら会話が続かないじゃないかと私は思う。

 

なので「今日一日なにをしてたの?」と聞かれると私は責められているように感じる。別に何をしようがしまいが私の自由のはずだが、許さないよというのをなんとなく感じるからである。もちろん相手には全くそんな気はなく、会話をするつもりで聞いているのかもしれない。だとしたら「今日はどんな1日だったの?」「今日どこかにでかけた?」「今日楽しいことあった?」が妥当であるように思う。

それならまだ答えやすい。

 

なので「今日一日なにをしてたの?」と聞かれたら「生きてた」と返したりする。生きてたのは事実である。「いや、そうじゃなくて何か具体的なことをしたの?」と聞かれて初めて具体的に返す。

 

まったくあなたは天邪鬼だからとパートナーはたまにいうが、そもそも空気を読むとか私には高度なスキルはないので、わかっていてそんな質問するのは意地悪だな〜と思いながら最近は「でた、OS京都」「Delete、Delete、嫌なことはDelete でーす」と秒でかえすようにしている。

 

冒頭に戻る。今日一日なにをしようがしまいが答えなくてもいいのだと私は思う。生活してましたってわざわざ答えるのも会話として妙である。質問の意図がわからないことは意図を探る必要はあるが、中身のない質問にいちいち答えなくても全くok。そんな選択もあるよと私は思う。

 

Photo by つるたま

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