生活を充実させること

f:id:bluesilence:20240117155617j:image

私は普段作り置きを作ったり、コーヒー豆を買ってコーヒーを淹れたり、ジムに行って適度に運動しているのだけれど、その話をしたら充実してるねと言われたのでそんなもんかなあと思う。

 

たしかに在宅で仕事をしている分時間的な余裕は通勤している人たちよりはあると思うが、やりたくもない自分の仕事ではないことをある程度せざるを得ないという意味では会社員たちと変わりはない気がする。

 

私が作り置きをつくったり、豆からコーヒーを淹れたりするのは生活を楽にしたいからであり、ジムはたまに体を動かなさないと肥満のリスクがあるからだ。暮らしている環境を見渡すと見事に肥満体型ばかりなので意識しないとあっという間に飲み込まれてしまう。服薬している以上肥満は血栓ができやすくなって死亡率があがるため避けねばならない。あと単に体を動かすのは楽しい。けどそういうのが充実にみえているのであればそういう人たちは生活をしていないのかな、、と疑問に思うことがある。

 

生活は食べて寝るというだけではない。食材を選んでその時の体調に合わせて調理し、極力リラックスして食べて、片付け、虫がでない清潔な空間を掃除して保ち、換気し、洗濯された衛生的なものを身にまとい、風呂掃除やトイレそうじ、玄関や庭やらの管理、ポストに手紙がたまらないようにし、たまにしっかり乾燥した清潔で温かい布団で寝る、ということをしながら最大限そこに暮らす人がリラックスできるようにすることだ。ざっと書いてみたがタスクが多い。

 

それに加えて自分が生活する上で息がつまらないようにする工夫がいる。私の場合はゲームやコーヒーを飲むことなのでそれらは極力欠かさないようにしている。小説を書いたり、chatしたりする人もいるだろう。

 

私は最近iPhoneアップデートできたジャーナルアプリを使ってその時思うことを書き出しているのだけれどそこでは何の制限もかけないので後から読むと「あー体の具合がわるいな」とか「実はあれ絶望してたんか」みたいなことに気づいてゲーム感覚で楽しんでいる。ここでは書けないような乱文なのでちょっとした異世界だ。

 

そういうことを意識しないでやるようになったきっかけは、無理が祟って体を壊し、それによって文字通り生活ができなくなったからだ。ごはんがつくれない、洗濯するのも一苦労という経験をしてこのままじゃいけないな、と思いながら何もできなかった。それでできないままに何とかする方法を考えて、ふらふら実行しながら今に至る。そこでわかったのは生活の目的はリラックスするためであり、リラックスできないことは極力最小限にするということだ。

 

変な話だが今の私は遊ぶために生活している。あくまで好きなことがメインであり、それを最大限にしたいから生きるのに必要な諸々を効率化している。まあ忙しくなると遊ぶ時間減ってたまに虚無になることもあるが、ブログを書くことでリセットしている感じだ。

 

最初から生きるのが上手い人なんていない。

どうすればリラックスできるのか、自分なりに考えて実行してみるほかない。息苦しいなら生活というゲームを真剣にやってみるのもいいのではないかなと私は思う。

 

Photo by すしぱく

リフレクションしそうなブラックコーヒーのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20200652170jpg.html