自分のできないことをあきらめ、できることに挑む

「料理が本当にうまくなったな~」とパートナーに最近やたら褒められる。

食にこだわりのない私とは真逆に、パートナーは調味料から皿から彩りにいたるまで食事にこだわりがある。そんな人に食事を提供するのは嫌いではない。むしろ好きな部類に入る。私は負けず嫌いだし、食べてもらえなかったとすると悲しいより先に「次回は絶対うまいといわせてやる!いまにみてろよ!」と俄然燃えるタイプだ。

 

ただ残念なことに私は0→1をすることにほとんど能力がない

アイディアを生み出すのがそもそも下手なのである。

想像はするが、細かいディティールまで考えられない。

そうして考えられない部分は雑になってしまう。

インプットが足りないのだと本を大量に読んだり経験してみたが、

やはり根本的にむいていないのだと思う。

 

一方で既にある1をふくらます、その通りに実行することは得意だ。

料理も苦手なレシピを考えること自体をやめたらぐっと料理スキルがあがった。というか、私は他人のレシピを見てその通りに作るだけなので基本的にまずくなりようがないのである。

 

私は常々自分の苦手なこと、できないことを極力しないほうがいいと思っている。

なににつまづいているのかをあきらかにする必要はあるが、できないことに時間を割くくらいならできることに力を入れたほうがいい。

「私はこれができない」「あれができない」と嘆くくらいならその代わりとなるものを探せばいいだけだ。自分ができないことをいとも簡単にできるひとをみるにつけ「うわっ、かっこいいな!」とは思うが、「それにつけ私は」なんて思う必要は全くない。

 

それにできないことをあきらめて代替え案を導入すると、何より自分が楽になる

できることに集中ができるからストレスが減るし、ストレスが減ると生活の質はよくなる。生活の質がいいと穏やかになるから人間関係でのトラブルも減る。

 

何度も似たようなことを繰り返し記事に書いている気がするけれど、一貫して私の伝えたいことは「生活を大切にしよう」ということだし、そのために「余計なストレスは極力減らせ、やりたくないことはするな」である。

実際自分が苦だと感じている作業の大半は今の1/3に短縮できる

 

かくいう私も私とは真逆にマルチタスクでそのうえ地頭も良いパートナーに出会った頃は「こいつはちょっと毛色が違うな」と敬遠していたし、なんなら一緒にいるだけで「自分実はむっちゃだめなのでは??」と意味なく悩んだりしたが、結局生活スキルもブログを続けることも、人付き合いも私の方がずっとうまくやれているとわかってからは悩むことはなくなった。単に私は時間をかけて最適化することに特化してるだけなのだ。そうしてパートナーは複数のことを同時に器用にできて、短期間で成果を出せるがその逆があまり向いていない。

人がそれぞれ違うのは自分の持っていない部分を補い合うためだと聞いたことがあるが、私もそう思う。

 

「できないことをあきらめてできることをやろう。」

それが今年私が自分に対して最も使った言葉だ。

 

あきらめるということが今でも好きではないけれど、おかげでそのアプローチ方法はうんとやわっこくなったように思う。

 

今週のお題「マイ流行語」

Photo by Yuta Sugaya

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