時間とひとり

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一人で家の中にいて、音楽もモニターもつけずにいると時間がやたら長く感じる。そうして時間が欲しいと言いながら、自分でその時間を削っていたことに気がつく。

 

世の中には断食道場とか座禅会とかがあると聞くけれど、別に自宅で1日ひとり何もせず極力座ってみるといいような気がする。私は一時期瞑想にハマっていたことがあるのだけれど、それよりよほど気付きがあるし、極力なにもしないというのは頭と体を休ませている気がする。

 

風邪で少し熱っぽい体を横にならずにただ座椅子に座るというのは少し妙な感じで、最初は意味もなくスマホをいじったりお菓子を探してみたりするのだけれどすぐに飽きてボーっとしはじめる。そうしてボーっとしながら時間ってこんなに長かったんだな、外で働くと疲れていた原因は音や視覚によるものだったのだな、と気づいたりする。私はただ、一人になって、このなにもしない時間がほしかったのだなと思った。

 

家族と暮らしている方にはわかっていただけると思うが、複数人が同居していると自分以外の人がいない間も意識を取られるものなのだ。そろそろあいつ帰ってくる時間だなとか、今日は特別寒くて体調悪そうだったから早退してくるかもなとか、ご飯何にしようとか。

 

一人になってみると恐ろしく時間は長くて、実は誰かと過ごしたり関わったりするのは機能を果たしているのだなと思う。それは素晴らしく幸せなことだ。

 

本当に一人で、音楽もテレビもネットも本も見ずに、もちろん通販も頼まずに、家の外にも一歩もでないで生活している人がいたらもはやその人は仙人であると私は思う。というか禅僧やん!

 

釈迦の無の境地には考えれば考えるほど、すごいなーそこまでヒトは高められるんだなーとは思うが、そもそも釈迦は王子であるし、スペックも私は過剰に違うし、もっというなら悟りの境地にいくより私は色んな人に関わって機能を果たしたい。今日誰かとすれ違った、という行動がその誰かの何かを変えるかもしれない。あと、やっぱりまだまだ諦めがつかないことがある。

 

ほとんど座禅状態というか森田療法な1日のおかげで少し熱っぽかった体も夜になってようやく落ち着いた。ジャンキーなお菓子を食べなかったことも大きい。ちょっと頭が疲れていたのだなと思った。

 

Photo by はろ

格子窓の枠合わせと庭のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20231132332post-49344.html