自分を定義づける

 

うちの黄色いインコは最近おしゃべりが増えて、自分で自分のことをかわいいとかいう。「〇〇ちゃん、今日もかわいい」と私が隣の白いインコに話しかけているのをきいて「△△ちゃん、かわいー」と勝手に文章を作ってしゃべりはじめるのだ。

黄色いインコは昨年夏生まれなのでまだまだわんぱくである。

えさを与えてもすぐには食べないで遊び始めるので「△△ちゃん、ごはん食べて」と話しかけるのだが最近「食べてー」を真似するようになったので「もう」と呆れたら「もう」まで真似して笑った。

 

インコ見てて思ったのだけど、これくらいわがままでもいいんじゃないかと思うときがある。誰に言われなくたって自分のことかわいいとかかっこいいとか言えばいいし、そういう風に定義するのは自由である。そもそも俳優や女優がかっこいいだの美しいだの歌がうまいだの、それらは他人の定義づけである。だったら自分で自分を好きに定義付けたらいい。その際に過去や現状を考えないで自分が好きなものや憧れるもので定義づけてしまえばいい。そして定義づけた後に「自分はこうなのだからこういう振る舞いをしなきゃね」ともっていくほうがいいんじゃないかと思う。

 

私は仕事の面接で連敗し、散々なことを言われ、家でも散々な扱いを受けていた時に「なんかおかしいな。そもそもこういう自分好きじゃないわ」と気が付いて以来、もう面接に連続していくのをやめて、生活に専念して、散々な扱いをする家族を完全無視した。ようやく仕事が決まって、でも実際やってみたらそれはもう非効率もいいところのOJTもへったくれもないいきなり現場投入、引き継ぎもなしのひどい会社だったのですぐにやめたくなったが、金が必要だったので我慢してやっていたのだがもともと聞こえの悪い右耳がさらに悪化して聞こえなくなるほどだったので一日強制的に休んで病院に行ったら翌日「やめたかと思った」と皆に言われたのでその日の夕方に退職届をだした。今思うとやめて正解である。そのあと病気が発覚して早くに治療を開始できたので今生活ができている。そうして自分の定義づけを変えた。「仕事ができない軟弱な奴」というのを「単なる効率厨。オタク。病気はしやすいが重症化はしにくい」という風に定義づけそしてそういう風にふるまった。そうやって少しずつ少しずつ自分をずらしながらいいように定義、ふるまっている。

 

まあ、もっとぶっとんだ夢をもってそこから逆計算して現実こうじゃなきゃいけないよなというやり方もないでもないけれど、それだとどうも自分の現状で想像できる範囲にしかならないし、変わらない行動しないままで終わってしまう。それより「自分はかっこいいしモテて当然」と思ってそれらしいふるまいをしているほうがいいよなと思う。

多くの人は思うだけで実行には移さないものである。

 

でもまあ現状維持は脳の仕様なので、いきなりはそうふるまえない。だから一部ずつ取り入れてみたらええやん、というのが私の意見だ。なるのではなく、ずらす。意識して憧れるほうへずらす。そうやって感覚をつかみながら自分の頭の中では「私はこういう人間だ」と自分のいいほうへ自分を定義づける。

 

演じるよりずらすのほうが自分には合っていたのでこのやり方をとっているのだけれど、そのほうがダメージが少ない。演技はあくまで演技であり、その領域を出ないんじゃないか、というのが私の意見だ。

 

そんなことを考えてしまう自分のことを「すてきー」「天才~」とインコのように言える日がくるといいなと思っている。

 

Photo by つるたま

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