創作活動と心の健康:文章の影響力と向き合う方法

f:id:bluesilence:20231216191104j:image

今朝は5時に目が覚めたのでブログの記事を書こうと思って下書き保存した。そうして夕方アップする気で開いてみたら、内容がまあ、ひどい。どのくらいひどいかというと「それを言っちゃあおしまいよ」とつっこんでしまうくらいにひどい。中途半端ならそれでもいいのだけれど、あまりにテーマとかけ離れていて削除した。

 

私が記事を書くにあたって注意しているのはどんな記事でも批判したり悪口を書かないことだ。読み手によって受け取り方は変わるが、「だから(その人は)悪い」みたいなことは書かないようにしている。ついつい勝手に評価してしまう悪癖があるのを自覚しているので読み直して「あ、これは悪口だな」「批判だな」と思ったらそこは削除する。

 

自分の思ったことをそのままに書くのは簡単だ。

けれど、それを読んだ人がどんな気持ちになるだろうかという視点は常に持ちたい

自分の失敗例・みてきた失敗例をもとにだからああなのだこうなのだ、と書くのは簡単だけれど、もしかしたら「これ自分のこと書いているんじゃないか」と思う人だっているだろうと思う。楽しい話ならそれも良いだろうけれど、間接的でも「だからお前はだめなんだよ」みたいな文章は私なら読みたくない。

 

ネガティヴなことばかり書いているものにはブログであれ、ネットニュースであれ、本であれ極力読まないようにしている。ネガティヴな気持ちでいるが自分は今そういう自分をこういう風にとらえているだとか、元気出すためにこんなことをしたとか、それでもありがたいよな、とさらっと書いている文章なら喜んで読む。救いのない話が苦手過ぎて小説をほとんど読めないレベルなので(小説の多くは起伏をうむためになにかひどいことがおこりがちという印象がある)うっかりよんでしまうとたとえリアルではないものだとわかっていても激しく落ち込んでひきずってしまうのだ。リアルならなおさらである。

 

で、私はそういう文章を真夜中だとか寝起きに書いてしまいやすい。一生どこにもアップロードするつもりのない自作小説とか書いた日は本当にひどいひどいのオンパレード過ぎて自分で勝手に鞭打つようなものだ。なんというかひどいことを書くと現実のひどいことが少し昇華されるような錯覚に襲われるだから絶不調の時こそ私は極力ゲームをやってそこに向けられている意識をずらすようにしているし、逆に創作はしないようにしている。言葉にのまれやすい性格なのだと思う。

 

いいことや穏やかなことにさらっと意識を向けられたらいいのだけど、私は切り替えるのに時間がかかるタイプなので全く関係のない別のことに集中、さくっと寝るが今のところ最適解だ。パソコンのシャットダウンと一緒で脳を休ませるのが一番無理がないのだろうなと思う。

 

 

illust by bluesilence(stable diffusion)