ご用件はなんですか

This illustration is by shigureni.

なんでもいい、というのが嫌いだ。

なんでもいい、がなんでもよかったためしがない。

思考や選択の放棄をしている感じがする。

 

我が家では夕飯が決まっていないときに「今日何にしようか」「なんでもいい」と

答えてしまった瞬間に本当になにもでてこない。

なんでもいいということは本人が用意してもいい、あるいは食べないという選択もあるわけで、だから「なんで用意してくれないの!?」と言われたら「だってあなたが何でもいいと答えたから」と返すことになる。自分で考えることを放棄しておいて、文句を言う権利はない、というのが私の考えだ。

 

その代わりに「おなかはどれくらいすいているのか」「肉か野菜か」「通常のご飯は食べられそうか」「具体的に食べたいと思うものはあるか」を聞く。

出されたものを食べます、だからあなたに一任しますという意味で「おまかせします」は受け付けるが、そこから必ず具体的に聞くようにしている。

 

とはいえそんな会話は毎日できないので、LINEで「今日の献立はこれですが、他に食べたいものがあれば各自で用意してください。冷蔵庫にこれとこれのストックはあるのでほしい場合は返信ください。」となる。

返信がなかったら(あれば)余りご飯でつくった冷たいおにぎりと出汁がきいていない安いインスタントの味噌汁、もしくはインスタントラーメンを自分で作るか私に頭を下げてお願いするはめになる(そして当面翌日以降のごはんがでてこない)ので、既読スルーはしてこない。近所のスーパーのお弁当は安くない上においしくないことをよく知っているので必ず「これをお願いします」と返してくる。

 

そんなの面倒くさいじゃないか、黙ってご飯を作りなさいと考える人もいるかもしれない。考えてみてほしい。インターホンが鳴って「はい、どちら様ですか。ご用件は何でしょうか」とこちらがたずねたあとに用件を言わずに「でてください」って人がいたら絶対ドアを開けないと思う。

そういうことだ。

 

これは食事に限ったことでもない。

仕事を探すとき、インターネットでなにかをはじめるとき、服を買うとき。

なかなか決まらない人に「なんでもいいじゃない」なんていうのは思考の放棄といえる。それが自分であれ、他人であれ、強制的な会話の打ち切りに近い感じがする。

 

なんでもいいわけがないじゃないかと私は思う。

もっと欲を明らかにしてはっきりいえばいい。

受け入れられるかどうかは別にして「私はこれがほしい」「わたしはこれがたべたい」

「私はこうしたい」と言おう。

わからなかったらわかっているところまでは答える努力をしよう、と思う。

料理だったらレシピ名がわからくてもこんなものが食べたい、は言えるはずだ。

 

「今日はどうされましたか?」「なんでもいいです。おまかせします」なんて会話は通じないのだ。というか病院ですらそんな会話にはならない。え?どこら辺が痛いの?いつから?刺すような痛み?それともじわじわくる鈍痛?ぶつけた?おもいあたることある?と必ず聞いてくる。

それなのに日常会話では「うーんこれどうしよう??」「なんでもいいじゃん」になるのはなんでだろう。

きちんと会話したい、と私は思う。