頭のなかのココロ

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心理学をならいはじめたころに、学校で「心は頭、胸、お腹にあると言われています。」と教師が言っているのを聞いて「うっそで〜〜」と思わず言ってしまったことがある。というのも私が心理学を学ぶきっかけになったのは感情はどこからわいてくるのか?そもそも感情とはななにか?感情を意図して変えることは可能かという科学的な理由を知りたかったからであり、それが可能になれば様々なことに使えると考えたからである。まあちょうど友人が亡くなったばかりで、感情に振り回されて亡くなってしまったところがあり、それってさぁ…科学的に解決できないの?という怒りも正直あった。

 

なんにせよ私の心理学を学ぶきっかけは科学的な解決を求める(開発する)ものであったことは間違いない。それで周りが心理学の基礎知識を学ぶ横でさっさと課題を終わらせて脳機能学とか脳科学とか医学といった本を読みまくっていた。

 

今にして思うと冒頭のココロは頭、胸、腹にあるというのは正しい。感情を生み出すのは脳であるが、その身体反応に胸と腹にでやすいというのはある。例えばわかりやすいのは緊張(興奮)すると心拍数が上がってドキドキし、人によっては腹にも症状がでる。大切な発表の前や試験前がわかりやすい。

 

とはいえ感情というものが頭の中で発生し、それをコントロールしようとするのも、身体反応への信号を送るのも脳である。頭の中にココロがあるのはわかったけどさ、結局感情ってなんなのさ!と私は生意気なことを思うが、簡単にいってしまえば感情とは身を守るための信号である。ただしヒトの感情は他の動物と比べて複雑化しており、信号(感情)の種類はかなり多い。そのため本来なら物理的な生命の危機以外に発生しなかった恐怖が、そうではないシーンでも簡単に起こる。ホラー映画やわけのわからないことを呟いている人に恐怖を感じるのはそれが得体の知れないことだからであり、得体の知れないはあいまいな情報でしかないからよく調べれば恐怖の対象にはならないはずだが、恐怖を感じるのである。実に面白い。また言葉以外にも恐怖を感じさせる手段はある。ただ、それらはヒトが情報を持っていて感情という信号が通じているから発生するのであり、いずれかが欠けていても発生しない。

 


実際感情というのは作り出すことができてしまう。(CMをみてわくわくしたり買いたくなってしまうのがいい例。)

 


まあこんなたかが信号に私たちは振り回されているのかと思うと実に高度な悩みを持っているものだなあというのが私の感想だ。それらが頭の中で発生していて、感情が身体反応としてでるというのはあたかもゲームのキャラクターを動かす操作に非常によく似ている。○を押したら攻撃、✖️なら防御となんら変わりはない。ヒトの感情の数を考えるとボタンいくつ必要になるんだろう。それらがオートでほぼ瞬間的に自動発生しているのだからどんだけ脳はハイスペックなんだ!と思う。それなら振り回されるんじゃなくてゲームだと思えばいいのかもしれない。感情も自動反応オフにできたらいいのにな。

 

Photo by 宮崎大輔

電柱にぐるぐる巻き付いた電線のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20180437100post-15876.html