天国と地獄

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人はそれぞれ地獄をもっている、とどこかで聞いて本当にそうだなあと歳を重ねてきて実感することが増えたのだけど、同時に思うのは天国ももっている、ということだ。そういう視点で他人と接していると派手な人たちも不幸そうに見える人たちも割とフラットにみえるし、対応を誤らない感じがある。

 

私がごく普通の生活をしていること(それだって苦労や家族との協力を長い時間をかけて構築してきたもの)を「充実してる」「ラッキーだ」と言われたことがあって、ああこの人はどの人にも天国と地獄があることを意識していないのだなあと思ってしまった。

 

私が大変な生活をしていた時に「気の毒に」と勝手に可哀想な人扱いをしたあげく、私の地獄を手助けするでもなく「私は無事でよかった」みたいな顔をした人の行為を私は忘れない。

 

皆それぞれに天国と地獄をもっていて、大概の人はそれを人には見せず淡々と生きているのである。みんな今生きているだけで充分えらいことだと私は思う。

 

私のこれまでの人生や、今抱えていることを人に話せば「この人は大変な人生で、苦労人だ」と多くの人は言うだろうけれど、私はそんな同情は見当違いだと言うだろう。たしかに大変な人生を歩んできているけれど、楽しみや幸せに感じることもたくさん得ているし、生きる上で一生懸命やるしかないだけでそれは苦労だとは思わない。今のように生きる選択をしたのは私でその選択に責任を私は持って生きている。それを可哀想、不幸と言われるのは甚だ腹だたしい。私とは反対の幸せそうに見える人がいても幸せとは限らないだろう。

 

だから私は落ち込んでいる人がいても、自慢話をしてくる人がいても話半分で聞く。そうして心の中でこの先の白紙の未来でその人が幸せであることを願う。

 

生きることは苦行であるが、同時に幸せでもある。もし片側しかみえていないのであれば、もう片側を意識してみるのもいいかもしれない。

 

Photo by スズキズキ

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