役割と生きる目的

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祖母に関することが一通り片付いて、ようやくほっとしているが、結構亡くなってからもやることって意外とあるなあと思う。

とはいえ、書類上の手続きは今回母がしたので私がしたのは生前お世話になった施設へのお礼のお菓子の手配だとか、必要な手続きの一覧を調べてあげたりだとか、初七日用の花の手配、あとは11月になったら母に代わって喪中ハガキの用意くらいだ。

 

家に帰ってからも毎日lineは欠かさないようにしている。ほっとした頃が一番悲しみが襲ってくることは良く知っている。母は私からのlineがありがたいらしい。毎日気にしてくれるから、自分のことに集中できるのだそうだ。

 

それでふと、こういうのって役割だよなと思った。亡くなった母方の祖母に似て、私は他人のケアやサポートが多い。どういうわけか小さい頃から今に至るまでそういう役がまわってくる。不思議なことに職を変えても他人のケアやサポートの役割が回ってくる。

逃げられないものだろうかと脳機能学の本を読みあさったが、つまるところ何にもっとも幸せを感じ、何に価値をおくのか、ということだった。

 

私は自分を含め他人が笑って暮らせることに幸せを感じるし、「みんなで生きよう」が生きる目的だ。よくよく考えたけれど今のところこういう感じだ。誰かが誰かの命を奪うようなことはもうなくなってほしいし、しかるべき福祉や医療に必要なときにだれもが繋がれる社会にしたいと考えている。それがわからなかった子供のときも両親や親戚やクラスメイトが不毛な喧嘩をするのをみるたびに「意見が違うのはわかったけど仲良くできないの?」と思っていた。

 

仲良くはできないけれど共存はできる、と私は思っている。抽象度をあげれば人は皆同じだ。

私は選んで役割を演じている。

 

その役割は人によって違うのだと思う。何が一番幸せか。何が生きる目的なのか。大切にしている価値観はなにか。自分はどんな役割が回ってきやすいのかから遡って、望まないなら目的の再設定をしてほしいと私は思っている。

 

生きる時間は有限なのだから。