本を読む、ということに抵抗がない私は文字を見ただけで嫌になる、という人種がいることを全く知らなかった。そこまでいかなくてもテキストを読むことが嫌な人はどうもいるようである。
でもそういうひとでもラノベは大丈夫だったりするからそこまで心配はしていないのだが、先日文章を読むことそのものがだめな人に出会ってしまって、話が合わなさすぎてまいった。
読書をすすめるわけではないけど、文章を読むことそのものに抵抗があると日常生活に支障がでていそうである。
結局実体験から興味をもつように博物館や美術館をすすめてみたのだけど、それら=学校の勉強と結びついているようで「なにがおもしろいの?」と言われてしまった。
本を読んだり、テキストを読んだりすることは脳の中の情報をカテゴリー化させるのに役立つ。世の中の全てを体験することは難しいが、読書をすることによって知らないことでもある程度認識することが可能になる。
妄想が捗る、という言い方を私はよくするけど全てのものは情報に過ぎない。それを手っ取り早く吸収するには読書は最適だ。
とはいえ、私は幼少期から読書には抵抗が一切ない。本のある生活が当たり前だったし、鬱の時すら読書はしていた。そうではなく、文章そのものに抵抗がある人をどうやって興味を向けさせるかを少し考えてみた。
1.ただ表紙を眺める。
表紙や装丁が綺麗な本や絵本をただ眺める。愛着がわいたらそれでok。
2.聞く読書をする。
オーディオブックである。最初は短めのものがいい。
3.世界の名作を絵本で読む。
絵を見ながら各作者の独特な言い回しに慣れる。
4.音読する。
抑揚をつけて文章をよむ。口にすることで、音と文字を結びつける。
5.漫画を読む。
知ってるアニメやドラマの原作漫画を読む。イメージと文章を結びつける。
6.文章をセンテンスで読むたびに褒美を与える。パブロフの犬形式。
とか考えてみたけど難しい。
だいたいうちだって家庭環境が同じでも読書習慣が身についたのは私だけだったし、下の妹は国語が苦手すぎて大学まで苦労していた。
抵抗がないに越したことはないけれど、人によって得意不得意は違うわけで、文章を読むのが苦手でも生活に支障がないならそれでいい気もする。先日出会った文章苦手な人は読めないことでもはや生活に異常をきたしていたのでつい「それはなんとかしたほうがいいわ」と言ってしまったのだが本人は幸せそうなのでなんとも言えない。
幸せは個人の主観でしかないから、本人が幸せならそれでいいともいえるが、読めないことのリスクはかなり大きいわけで、自らの勉強不足を大いに反省した。なにか読書=楽しいに結びつく体験があればいいな、と思う。
そういうサポートをしているひとたちはどんなやり方をしているのか大変興味がある。
Photo by エリー
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