怒りを分散する

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遠くから帰ってきて、疲れてクタクタだが生活をしなければならないのに、帰宅したら行く前よりひどくなっているとげんなりする。

それだけならまだしもペットのインコはストレスで体調を崩し、掃除機は詰まって吸いもしない。ひとつずつ片付けて、買い出しに行こうと帰ってきたら、庭先で野鳥が死んでいるのを発見した。

 

可哀想に、と粟を少し一緒に庭に埋葬し花を添えて家に入れば落ち着いたはずのインコがまた何か勘違いして発狂中である。ゲージを開けてたくさん声をかけてあげる。ああもうだめだ、このまま何もできないとあきらめてカラムーチョの袋を開けて無心で食べた。そしてこたつの中に溶けた。

 

書ききれないストレスは続投したが、夜になってイライラしているのは馬鹿げた気分になってきた。夕飯後に温かいお茶をいれ、とっておきのミニモナカをちょっとだけいただいた。そうしていたらなんとなくまあ仕方ないかーという感じになった。

 

自分でも自覚しているがわたしは神経質である。その上理想主義で完璧主義なところがあるからタチが悪い。歳を重ねて少しはマイルドになったが怒りっぽい。

幸い大概すぐに自己分析と解決に向かうのだが、怒りが重なるとパンクしがちである。パンクすると超ポンコツになる。ポンコツになるとトンチンカンなことばかりやらかす。

 

そんなわけで怒りをどうするかは長年考えて色々試してきたが、パートナーに「怒るのは仕方ないよね。だってマジで腹たつし、その原因も大概あなたにないし。でもまあ、怒ってばっかりだと疲れるからそれなら怒りの矛先を分散すれば?」

と言われ、そういう考えもありだなと思った。私は怒りを自分一人でコントロールしようとしがちである。第三者をいれたり、気軽に外出したりしてもいいのだ。背追い込む必要はない。怒り自体をどうにかコントロールするのではなく、怒りが強いなら水流を分散するように流れをいくつかに分けたらいい。

 

悲しみもそうだが、忙しいと感情に浸る暇がない。つまり感情が持続するのは脳が暇だからなのである。誰かが亡くなり、葬式を取り仕切る側だと泣く暇がない。怒りだって同じである。

腹が立っていても、生活や仕事が忙しかったらそんなに怒っていられない。

 

と書きつつ、分散については私はとにかくアウトプットするようにしている。どこにも出さない私小説を書いたり。あとはカフェインやお菓子の爆食は控えて静かに寝てるのがいい。パソコンのシャットダウンと同じで感情を処理するには一番最適解の気がしている。

ただなんだかんで最強はいつも通りに生活する、なんだよなと思う。いつも通りができる人は強い。当たり前と言えば当たり前だけど。

 

カリカリしなさんな、と昔祖母によく言われたものだけど、カリカリの原因はあきらかに不満や怒りを溜め込んでたからなんだよなあと思う。まあ昔から怒っても仕方ないとむかつくとよく近所を散歩してたのだけども、それで解決するわけじゃないからもやもやしくしくして、時折かんしゃくを起こしていた。今思えば私はパワーを持て余していたのだし、それを何か別の楽しいことに使えばよかったのだけど(そうでなければ何もしないで寝るか)、誰もそんなことは教えてくれなかったし我慢するのが一番正しいと思っていた。

 

そういうわけで、怒りがそれるような趣味をあと二つか三つくらいは持ちたいと思う。

 

Photo by つるたま

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