寂しさはいつか消える

f:id:bluesilence:20240227162244j:image

Googleフォトを整理した。

長年使っているとどうしても写真は溜まるものだ。あとスクリーンショットや推しの写真なんかみつけると保存しがちである。

一覧でみながら選択削除していく。昨年夏に亡くなったインコの写真や動画がたくさんでてきた。

 

昨年亡くなった青いインコは私と12年の付き合いだった。人見知りインコだったが、私との相性は非常によく、またインコらしくなくわりと静かであり、人の言葉をよく理解していた。今の家に越した時もうだいぶ年であり、パートナーは後にくるペットロスに耐えられないだろうと言って新しいインコを飼った。新しくきた白いインコは性格が真逆で、すぐ些細なことで噛んだり騒いだり餌を食べなかったりする。先住インコは面倒見がよく、死ぬ前日までそれは変わらなかった。

 

青いインコが亡くなった日、白いインコは私をずっとみていた。亡骸を埋葬し、ゲージを片付ける様をずっと。いつもなら騒ぐのにその日は餌も食べずにずっと私をみていた。青いインコは生活の一部だった。亡くなる前夜家族みんなの夢の中にでてきたくらいだ。パートナーは私を連れてペットショップにいき、その日のうちに新しいインコを飼った。臆病な黄色いインコのヒナだ。私たちは悲しむ暇もなく新しいインコの世話をし、白いインコは先輩になって面倒をみはじめた。

 

半年経っても亡くなった青いインコの話題はたびたびあがる。あいつ全然夢枕にたたないけど、まだ食べてるんだよきっとだとか、なにもきていないのにインコたちが窓の外に向かっておしゃべりするときは様子を見に来たんだな、とか。どこにいっても、なにをしていても私たちの生活の中にまだ青いインコはいる。それでも、埋葬した地に新たな草が生えて、風が変わるのを感じるたびにもういないのだと思い知らされて時々寂しくなる。

 

あんなにわがままで懐かなかった白いインコはそれから少しずつマイルドになって、相変わらず噛むけど甘えるようになった。そうして白いインコが大好きなバナナを一緒に並んで食べながら、外を見る。黄色いインコは臆病さがぬけてマイペースなインコになってきた。

 

Googleフォトには青いインコが頭から餌箱につっこむ写真や動画が並んでいた。それをみた瞬間笑ってしまった。たしかに体はもうないが、青いインコは記録の中でまだ生きている。そうして何度でも笑わせてくれる。

 

寂しさはいつか消えるのだと私は思った。

 

ペットロスは悲しいが、いつまでも泣くのはきっと違う。私は新しいインコの世話で泣く暇もなかったが、寂しさは常にあった。その寂しさは他では埋められなかった。ずっとそうなのだと思っていたけれど、時が経つにつれごく自然と薄れていくのを感じている。私もなくなったら少しずつこうして忘れられていくのだろう。それは喜ばしいことだ。まだ生きている人たちには寂しさより願わくば喜びで満たされていてほしいと思う。

 

だから今を生きよう。そうしてたくさん笑顔になれることをしよう。なんでもない毎日を意識的に過ごそう。辛い今も時間がたてば思い出に変わる。さびしいことや辛いことほど忘れるのは難しいけれど、意識しなければ次第に薄れていくのだと私は思う。

 

Photo by bluesilence