またあした

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「また明日ね」という言葉を長らく聞いていない気がする。ふと、そう思ったのは小学生の帰宅時間時に通りがかってその言葉を聞いたからだ。「おーい!」男の子が通りの向こうの女の子に手を振る。「今日俺用事あるからまた明日なー!」「また明日ーっ!」女の子が元気よく返す。ああ、そういうのいいなと微笑んだ。

 

大人になると驚くほど挨拶をしない。店に伺うとき、「ごめんください」とよくいったものだが今はなかなか聞かない。「ごゆっくりしていってください」も「ありがとうございます」も自然といえるのはかなりの年長者かよくできた大人たちである。ホテルですら最近はラフだから挨拶を忘れてきてきている気がする。私は引きこもりがちだから、尚更だ。出かけた先で「どうも。こんにちは。」とすれ違いざまに会釈された日にはその佇まいにハッとするくらいである。

 

「また明日」と大人どうしでいうのをあまり聞かないのは大人になるといつ死ぬかわからないというのもあるんだと思う。それでも「また明日」が明日への希望に繋がることもあるかもしれない。「また来年も」とはいうが、「また明日」と言わない不思議である。

 

「また明日」と講師をやっていたときに翌日も参加するメンバーに声をかけたら「ええ、また明日があるのね。うれしいわ。」と微笑まれたことがある。「また明日」「じゃあな、また明日もよろしく。」よく知るいつもの面子がそう言って帰って言った。あの頃属していたメンバーが仲が良かったのは挨拶があったからなんだと思う。「また明日」「また来週」という言葉を交わすことで親近感が生まれていたのだろう。

 

私たちは守れない約束を言葉にしない。

引っ越す時に「また明日」とはいわないし、死を間近にした人もやはり気軽には言わないだろう。言霊を大切にする国に生まれた私たちは言葉の大切さをよく知っている。だからこそ「また明日」と交わせる子供たちを微笑ましく見ることができるのだと私は思う。

 

また明日の私のブログを誰かが心待ちにしてくれているだろうか?いなくても明日の私に向かって希望をこめて私は「また明日」と言おう。

 

Photo by maroke

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