半端のままではじめよう

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私にはあれもできないこれもできない、と能力があるのにしない人の話を聞くたびに完璧主義なんだなあと思う。私自身も完璧主義なところがあって、度々家族にも「あなたの完璧主義はいきすぎてるところがある」と言われることがある。

 

私は半年ブログを続けているが、それだって完璧にやろうとおもってやっていたら続いていないと思う。なにもかもが中途半端だけどゴールがあるからやってみよう、ではじめた結果続いているだけだ。そのゴールがなかったらつらいだけでやめてしまう。やってみればわかるが、毎日記事を書くというのは結構な労力なのだ。

 

なにか仕事をしたり、新しいことをはじめるときできないことや足りないことはあるものだけど、ないということに意識をフォーカスしてもどうしようもない。探し物をする時に「ない!」と思いながら探すと本当にみつからないが、「ある、必ずある」と思いながら探すとみつかる。それと同じだ。

 

私は日頃から「できないからできるようになろう」よりも「できるとしたら今何ができている必要があるか?なにをしたらいいか?」と結果から考えてゴールと今を結びつけるようにしている。あとは「それをしたいと本当に思ているか」も大事にしている。したくないことをやるのは本当に苦痛だ。

 

そういう考え方でいるのでネガティブなニュースは極力みないし、一般的には〜、あなたの年齢ならこの仕事しかない、みたいな意見を聞いても「それはあなたの主観ですよね?」としか思わない。100歩譲ってそうであったとしても自分の気持ちがyesと言わないなら私は自分の方を大切にするし、そうなんですねと流す。世間体に流されない私をみて「ずるい」とばかりに足を引っ張ってくる人たちはいるけれど、そういう人たちは大概何もアクションしないから、私と対話するには値しない。話は聞くけど右から左に流している。  

 

そんなことを書いている私もブログをやるまえは「ずるい」と言わないまでも思うタイプの側だった。「やればいいのに」「できるよ」と言われても「私にはあれがないこれがない」と逃げてきた。逃げるのをやめたのは死を意識したからで、それがなければ今も逃げては言い訳していただろう。

 

今なら過去の逃げて言い訳していたばかりの自分の隣に行って、コーヒーをのみながら「そうだね、こわいよね。わかるよ。世知辛いし、周りは強敵ばかりに見えるし。でも私はあなたを信じているよ。だってあなたはここで文句を言うだけの人じゃないから。」と言うだろうと思う。昨年部屋を片付けていたときに“明日の私へ"という厨二病タイトルの手書きの手紙が出てきたが、中には「今これを読んでいるあなたはこのさきどうなるか不安を抱えているのかもしれません。それがどうなるか私にもわからない。こわいよね、不安だよね。(以下略)あなたがどんな選択をとっても今日の私はあなたを肯定します。」と書かれていて昔から変わってないなあと笑ってしまった。まあ、昔から私はそんな風に自分を励ましながらのらりくらりと生きてきたわけで、昔も今も文句言いながらでも行動している。意外と私は継続家だし、行動力があるのである。誰にでもいいところはもうあるはずでそういう自分を少し良く評価してもいいんじゃないかと思う。

 

半端なままでいいからやりたいと思ったらはじめよう。やりたいことを実行しただけですごいことなのだから。

 

illust by blue silence