子供へのエールとは何か

子供に、特に乳幼児に関わっているときに「がんばれば何にだってなれるよ」と言いたくなることがある。でも言わない。世の中にはがんばってもアプローチの仕方や運で叶わないことがある。そうしてそれはいずれ経験することだから(できたらしてほしくないが)言わなくてもいい。けどやっぱり報われてほしいと思うのはエゴなのだろう。

 

私自身成功した人生を送っているとは言えないからなおさらだ。そもそも成功とか失敗とか正しいとか間違っているとかそういう土俵にいるのはとてもつまらなくなってしまった。どんなに人気のあるゲームでランキングトップ10入りをしたっていずれは見向きもされなくなるように。

 

だいたい正しいか間違っているかというのは誰の基準なのだろう。

働いていない人は社会的に正しくないという意見を聞いたことがあるが、では障がい者や病人やけが人や専業主ふは正しくないのだろうか?

成功や失敗にしても同じだ。はたして誰の基準なのだろう。

小学校のテストで0~100点の間で当たった数だけ点数が多くもらえたからといって、大人の世界は同じではない。あるところではポンコツな人が違うところでは天才になりうるのである。

 

「比べるなら他人じゃなくて昨日の自分と比べろよ」と私に言ってくれた人がいる。

いい言葉だと思うが、私はいまだにこの言葉を飲み込めない。

もし自分なりに誰かにいうとしたら「だれかやなにかと比べること自体やめなよ。今楽しいなら楽しい。悲しいなら悲しいでいいやん」ということだ。

 

だいたいなにかしら成功し、正しい人生というものがあるとして、それだけで人生が完結することはおそらくない。生まれてから死ぬ直前までほぼ完ぺきに思い通りに生きられたとして、最後死ぬ瞬間むっちゃ苦しかっただけで私ならわめいて怒る自信がある

「なんだよ!最後まで完璧じゃないのかよ!」と。

そんな終わり方は嫌だなと思うが、案外そんなものだ。

完璧な成功者も失敗者もおそらくいない。

 

冒頭に戻る。なりたいものになれたらそれは素敵なことだが、そこで人生は終わりではない。だから子供には「たとえなりたいものになれなくてもこんな楽しい大人もいるよ」という背中を見せて生きたいと思う。私も今までたくさんの大人たちにそんな背中をみせてもらってきた。それでなんとかもうちょっと生きようかなと思って今日まで至る。どうせなるなら「なんかしらないけどこの人楽しそうに生きてるな」の人に、私はなりたい。

 

 

 

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