やりたいことがないのは

単に情報不足じゃないか?と思うことがある。

頭の中にないことは見えないのである。

逆に言うと視えるというのは頭の中に情報がある状態だ。

 

例えばコーヒーの例でいうと、コーヒーはなんでもいい人と好きでコーヒーを自分で淹れる人の持っている情報は違う。コーヒーは何でもいい人にとって、インスタントだろうが缶コーヒーだろうが喫茶店で飲むコーヒーだろうが全部同じである。せいぜい濃い、薄い、苦い、苦くないくらいの差でしかない。

 

その一方で好きでコーヒーを淹れる人は、コーヒー豆、焙煎具合、どれくらい挽くのか、温度、その日の気温や湿度、使う道具による違いという情報がある。

彼らにとってコーヒーは全部同じではない。香りや口当たりの重さだって違うし、ミルクをいれたほうがおいしい、アイスコーヒー向きの豆などがある。

 

私も今ではやってみたいこと、行きたい場所などたくさんあるけれど、少し前までそうではなかった。それは「こうであるべき」という社会通念・親や教師の言うことに従って我慢しながら生きていたからで、ずっと自分を抑圧していたのだ。

それでうまく回っているうちはよかったのだが、病気になってそれまで通りにうまくいかなくなった時になんというか「こうであるべき」にしがみついているのが大変ばかばかしくなった。というか、したくてもできないし。それで今の状態の自分でもできることをはじめて、やりたいことやいってみたい場所は少し無理してでも動くようにした。すっげー!と思うものもあったし、たいしたことないなって思うこともあった。

いずれにせよ脳の中の情報は増えた。

 

もうひとつ。ヒトの脳は現状維持の仕様である。

昨日までと同じことをくりかえせば生きられる可能性が高いので同じ状態にとどめておこうとするシステムになっている。(これをホメオスタシスという。)

なので新しいことをやろうとすると脳は「危ない!」と判断して現状に引き戻そうとするのである。例えばダイエットはわかりやすい。今までダイエットなんかしたことがない人が健康診断で肥満と診断されて、運動を始めようと決意したとする。すると脳はたちまち運動をしなくていい理由をみつけだす。その結果、ダイエットは明日からでいいやーとポテトチップスやラーメンを食べてしまうのである。みなさんもありませんか?私はあります(白目)。

 

で、これを変えるためにはとにかく今ある情報を変えてしまえばいいわけで、やりやすいのは環境を変えることだったりする。ダイエットの例でいえば、スポーツジムに入会すると周りが運動している人ばかりなので自分も運動しなければという気になる。

私自身、コーヒーは学生時代から好きだったがなんでもいい人だった。

ところが気に入った喫茶店があって毎日のように通っていたら店員さんから「うまそうにのむなあ。そんなに好きなら自分で淹れたらもっとうまいの飲めるよ。」と言われてそれをきっかけに半信半疑でコーヒーセミナーなるものに初参加し、以来すっかりはまってしまった。

 

ただ、きっかけがあっても行動に移すのは少なくとも自分の中にwant to(したい)があるからなのだと思う。例えば店員に話しかけられたときにそんなのどうでもいいや、と思ったら行動は変わらない。私の中でうまいコーヒーは強烈なwant toになったわけだ。

 

やりたいことがないという人の話を聞くたびに思うのは新しいことをまったくやっていない、趣味がない、興味関心が薄いということだ。ヒトの脳は現状維持&慣れの仕様であるし、毎日同じことを繰り返していたらただの作業である。おもしろくもなんともない。どうせ、というのがある気がする。

私は掃除や整頓が好きなのだが、洗剤だってたくさんの種類があって、メーカーによる違いとか、つかいやすい、つかいにくいがある。だから調べて、気になったものを使ってみるのが楽しい。それに合うスポンジとかも気になり始めたらきりがないくらいだ。

ところが多くの家庭では洗剤はずっと同じだろうと思う。途中で変えました、というのは興味関心がない限り聞いたことがあまりない。使いにくい、香りが強いと思いながら調べもしないし替えもしないのである。

 

だから私は初対面の人に「あなたはこの中の何が好きですか?」と聞くことがある。とにかく自分の好きなことやしたいことに意識を向けさせてみる。別に私にこたえなくてもいい。でも少なくとも聞かれたことで脳は答えを出そうと意識しだすのである。あとはカフェに入っていつもと違うメニューを試してみるとか、普段はしないトッピングをしてみるだとかすると情報は無茶苦茶増える。

博物館だって今は有料のミニ講義みたいなのがあって、それに参加してみると知らない情報が一気に増えておもしろい。

色々試してみて長年親しんだものが一番好きでした、だったらそれもokである。

ただ現状つまらない、やりたいことがない状態なら新しい一歩を踏み出してみたらいいのかもしれない。人生は有限である。どうせなら楽しく生きたいと私は思う。

Photo by あろはろ123

分かれ道 - No: 27222164|写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK