言語化する、交わる

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言語化するためにはたくさんのインプットとアウトプットが必要であると私は思う。

それがわからなかった時に、私はインプットだけをしていてアウトプットを全くしていなかった。具体的にいえば私は読書をしまくっていたのだ。


もちろんインプットをしないよりもした方がいい。ジャンルを超えたいわゆる乱読は私も今でもするし、それによってより深い理解が可能となる。しかし、だ。インプットだけでは効率が悪い。私は講師という仕事をしばらくしていたが、一時間半や二時間の話をする時にいちいち用意した資料をみている余裕はない。だから簡単なスライドや、簡単なフローチャートを用意して、なるべく要点だけ話すようにしていた。このやり方だと参加者からの質問も前提に動くので、効率が良かった。また一番伝えたいことに時間を割きやすい。

 


語学学習にしてもだ。duolingoをはじめて気づいたのはアウトプットの多さである。うまく発話できようとできなかろうと、容赦無くスピーキングがある。また間違えた問題をできるまでしつこくやらされる短時間の集中訓練。実に効率が良い。

 

しかしそれよりももっと効率の良いやり方を知っている。誰とでもよく話すことである。自分にはない視点を得られるのと同時に、自分がうまく言語化できないことを言語化してくれる人に出会う可能性が高い。人の数だけ経験・知識・知恵があるのである。これを活かさない手はない。


まあだからといって手当たり次第に話しかけたらただの変態なのであるが、髪を切りに行く時や整体やワークショップ等で話す機会はいくらでもつくりようがある。雑談で気軽に誰とでも話せるようになると、思わぬ情報を手に入れることがある。恐れないで交わろう。


もう一つはストーリーを持って動くことだ。

例えば何かを行う時、それはどういう目的があってその先どうなるのか、というストーリーをもつ。そうすると無駄に思えることに意味が生まれる。私の場合生活・思考ブログを書いているから生活の中で思いついたり、やってみたことが全てネタになる。その中からどういう相手に向けてなにを発信し、結果的にこういう風にする、したい、というストーリーを持って動いている。私の場合特に情報発信系ではないので短期的ではなく長期的なストーリーを念頭に入れて書く。


脚本を持って動く、というのを私の恩師が教えてくれたがまさにそれである。


どこかに行く時に目的地を決めなくてもいいが、決めると意味が生まれる。

少し考えてみよう。「あーあ」という言葉は単体でみればただのため息に聞こえる。

しかしその前が(彼女は半年前からこの団子屋に行って、みたらし団子を食べることを楽しみにしていた。しかし団子屋は経営不振で閉店していた。)だったらどうだろうか?その「あーあ」に深い悲しみ、ショックの意味が生まれる。このあとに(しかし落ち込んでいても仕方がない。数分ほど歩いたところで新たな菓子屋を発見した)となるのか(彼女は悲しみのあまりにもう歩くのも嫌になってただ立ち尽くすばかりであった)となるのかでは意味が変わる。

こんなふうに自分がどんなストーリーを持って動くか、自由に決めてみたらいい。


こんなふうにアウトプットとインプットはセットで動いた方が効率がいい。ま、そこまで考えなくても何かするということにはだいたい意味があるものだと思う。だったら行動や思考パターンを変えて解釈変えたらいろんなパターンが生まれておもしろいよな、と私は思う。

そうやっていつまでも遊んでいるから私はどこか気まぐれなのだけど、それ自体がそういうストーリーなのだと考えるとちょっとした冒険譚である。

さてさて、次はどんな展開にしていこうか。

 

Photo by すしぱく

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