パートナーがおすすめする整体に行った。
ただのマッサージというより根本的に治療するためのものなので、まあ痛いだろうなと覚悟して行ったら首がもげるんじゃないかと思うほど痛かった。でもおかげでものすごく血流がよくなったし、昨夜はポカポカと爆睡した。
で、そんなことよりも整体の先生と筋肉やゲームについて大いに盛り上がったのだけど、あまりに整体師になることを勧められたので、私が以前心理職についていたことを話し、共感力がなさすぎて講師をつづけるかカウンセラーをやめるか選べと言われてやめた話をした。私には共感力が恐ろしくない。人そのものというより、ヒトの現象について興味が向いてしまう。それに「痛い」と泣いている人がいたら私は「痛いね。」と共感するのではなく痛みの元そのものを治したり改善することに集中するタイプだ。だって共感したって治らないやん、というのが私の考えだ。
これはどちらが正しいとかいう話ではない。
共感も大切だし、分析・改善や治療も大事だ。
でもなんにせよ、どうにかするには本人というところでは私は補助しかできないと思っているし、それでいいと思っている。あいにく残念ながらそのような考え方は日本だとコーチングになるし、誘われたけれど「俺が、私が」という人が多くて優しくないなと感じて断った。所属したいところがないわけではないけれど、現状かなりハードルが高い。私は全てのヒトに可能性を感じている。何か職を選ぶとして、治す・改善するとしても、それは本人の力だ。すべてはその人の中にある。
「俺好きだな、その考え方。あなたのやり方で救われる人もいると思いますよ。」
整体の先生は施術しながら言った。
「それに分析も才能だと思うんですよね。体力とかと一緒で個人差あるじゃないですか。あなたの場合はそれが分析力なんじゃないかな。」
「才能ねぇ。それは考えたことなかったですわ。何度か言われたことはありますけど、そんなものはたかが知れてると思ってました。」
「いや、そこまでストイックに深掘りできないですよ〜。ジャンル越えてまで探求しませんもん。それを寝かしておくのはもったいないです。筋肉と一緒です。使いましょう。」
とまあ、こんな感じで会話したのだけど、なにより「好きだな、その考え方」という一言がカーン!と私の心を打った。不思議な話だが、私はそう言われることがちょくちょくある。「好きだな、その考え方」という言葉をかけられるたびに、なんというかそのたびに相手の中に自分の知らない自分をみる感じがするのだ。合わせ鏡のような。言った本人はそこまで考えていないのかもしれないが、普段自覚しない自己の一部を認識するというのはとても面白いと思う。
そういうのって人の数だけあって、私も誰かをみたり話したりするたびに「あ、この人この部分がすごいな。」「それ活かせばいいのに」「できないとか言ってるけど充分すごいんだが?」てなことはたくさんある。「好きだな、その考え方(態度)」」とさらりと言えるように私もありたい。
Photo by あめまん
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