小さな嘘を積み重ねないこと

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こぼれ落ちた嘘はいつか自分を苦しめる、と私は思う。

 

小さな嘘をつくことが当たり前になったのはいつからなんだろう。感情を飲み込んで、笑顔で対応する自分が気持ち悪い。

冠婚葬祭だとか入院したとかそういうときに、気遣いから本心ではないけれど小さな嘘をつく(「お気の毒に」だとか「おめでとうございます」だとか)ことは全く構わないのだけど、延々と訳の分からない理不尽なことで怒鳴る客だとか、あきらかにこちらを下にみた扱いだとか、もっと身近なところで言えば本心で絶対そんなこと思ってないだろう的なメールをよこすかつての友人だとかにまで私は嘘をつきすぎているように思う。

 

私も外で例えばカラオケとかでワーワー歌ってストレス発散とか、SNSで相手を晒してストレス発散だとかしたらいいのかもしれないけれど、どうにもスマートではない気がする。

というのも両親が愚痴or弱いくせにへべれけになるまで飲んでストレス発散する家庭で育ったため、その世話をするのは私だった。だから愚痴も酒も、自分でコントロールできないならやるべきではないなと思っている。

 

理解してくれるパートナーや友人に対しても、私はすぐ「大丈夫」と嘘をつくことがある。落ち込んでいるところをみせてはいけない、悩んではいけない、そうやって自分を苦しめてきた。

 

ああ、無理だわ、と小さな嘘が蓄積して決壊することが10年に一度くらいあって、それはもうダムが決壊するがごとく盛大な決壊をするので、周りはそれを目にすると「…ごめん。」と本当に猛省して私を丁寧に扱うのだけど、そういうのって健全ではないように思う。

 

病気の治療が始まってから、いつ悪化してもわからないからこまめに要望や本音は言うようになった。馬鹿にされてるなと思ったら「やめてください」と伝えて距離をとるし、何か勧められても気が乗らなかったら「好きじゃないです」と言う。

 

それでもまだまだ小さな嘘積み重ねてるんだよなあと思う。少しでもやりたいと思ったことをやらないとか、いいと思ったことに見てみぬふりをするとか。買おうと思った本を買わないとか。健康のために好きでもない料理を作って食べるとか。

 

今日は久々に嘘をつかずに、歩いて駅に行き(往復一時間)、行列に並んでフードコートでモスバーガーのセットを食べ、あまりに人が多くてげんなりしたから電車に乗って違うショッピングセンターにいき、高いけど好きなコーヒー豆を買って、日焼け止めも塗らずにほぼ一日日光の下にいて、夕飯は普段だったら絶対食べないような軽食を作って過ごしたのだけど、それでもまだ小さな嘘をついている感じがある。本音を言えばまだ自宅に帰りたくなかったし、用もないので夜まで遊びたかった。

 

そういう小さな嘘をつく自分が私は嫌いだ。あきらかに要望通りでない髪型になって「こちらでよろしいでしょうか」なんていう美容師にありがとうございましたも言いたくはないし、そこしか近くに美容院がないからといって妥協もしたくない。いいわけないだろ、と叫びたい。

なのに私は「はい、ありがとうございました」と言ってしまう。

 

そういうわけで私は最近断ったり、違うと思ったり、嫌だと思ったらフランス語で「Non」ということが多い。(身近な人限定ではあるけど)

いいと思ったら「Oui」という。これのいいところは日本語だと角が立つ言い方になるのが一言で済むことだ。

 

そういえば先の美容院の件で思い出したが、ある時違う美容院に行って思い通りにならなかったとき「どう?」と美容師さんがついタメ口で話してきたので「あーダメっすね。全くダメ。」とこちらもそれまで丁寧に話していたのを忘れてぽろっと言ってしまったことがあって、双方苦笑したのだけど、嘘はどこかでバレると思うくらいでちょうどいい気がする。

 

そろそろいい子ちゃんな嘘つきな自分は卒業したいものである。

 

Photo by kissaten

器に集められたビー玉のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20221140319post-43479.html

今週のお題「卒業したいもの」