自分に優しく

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言葉や、やることが辛辣だなと思うことがある。特に自分に対してである。

他人には優しくしようとつとめるのに、自分に対しては追い詰めてしまいがちだ。

 

疲れを解消しないまま、生活を続けていたらひどい風邪をひいてまる二日お布団の中である。朝になると熱は引くが夜になるとまた熱が上がり汗をかく。「大丈夫?」と家族は聞く。「大丈夫、大丈夫」と私は返して最低限のことだけやって寝ている。

 

流石に静かすぎるのか、インコたちは顔を見せない私を心配してぎゃーぎゃー鳴くし、家族も「本当にそれしか食べないの?食べたいものあるなら買ってくるよ?」という始末である。

最近は熱はあっても動けることが多かった分今回は完全にエネルギーが切れてしまったらしい。あと減量中でさらに食事を絞ってるから尚更である。

 

とはいえわたしは自分に優しくする術を知らない。ゲーム?食事?どれも自分に与えてもそれほど響かないのだ。ちょっと精神的に落ち込んでいるのかもしれない。私はよく我慢をしがちである。我慢がよかったことなんて一度もない。逆にひどく落ちている時に散財しても良かったこともない。結局どうすればいいのかと考える。

 

うつには環境を変えるのが効く。

これは私も経験しているからよくわかる。しかし日常生活で落ちた時にはどうすればいいのだろう。皆はどうやって回復しているのだろう。

ネットには情報がたくさん落ちている。歩きましょう、運動しましょう、栄養バランスを考えて食事をしましょう、話しましょう。

そんなことはもう試してる。試して効果がない。そもそもそれは自分にとって優しいのだろうか?誰かが手当てをしたにも関わらず痛い痛いと泣いている時に「そうですね、痛いですよね」と共感するのが優しいかと言われたら私にはハテナである。どう考えても痛み止めを飲むことをおすすめする気がする。では自分はどうか。痛みはない。食欲はあまりないが、栄養は足りている。他に何をしろと??

 

少し考えてみて、私は他人に関わることで自分を回復させているところがある。自分のためにはがんばれないのだ、どうも昔から。一人でいても誰かのことを考え、その誰かが少しでも元気になったり笑顔になることを思えばパワーがわいてくる。しかし、今は力が抜けている。嫌でも自分のことを考えて自分を回復させなければならない。さて、どうしようかと思う。

 

ま、こんなことを書きながら「なんとかなるわな。」と思う自分もいる。結構根幹では自分を強く信じていたりする。だいたい私は知りたい欲が大きいし、気がつくと何かやっているのだ。多分今の不安は体の不調によるものだろう。しかしその一方であーこのままじゃいかんなあ、とも思う。ああ、このままじゃいけないと思いながら一歩も進んでいないことに腹が立つ。自分に厳しすぎる。こんなことを他人にやる先輩がいたら、「なにあいつ。関わる人が気の毒じゃん、本人なにもしてないくせに」と冷ややかな目でみるに違いないのに自分で自分にそうしているのだから苦笑してしまう。

 

書いていて気がついたけれど、私は自分のことをよく知らなすぎるのだと思う。他人に興味が薄いように、自分にも興味が薄い。どうでもいいやと思っているところがある。ひどいな、可哀想じゃん、と書いていて思う。何かアイデアがわいても「だって」「でもさ」という小さな感情の意見を私はすぐ潰して実行する。生きていくためにそういう選択をせざるを得なかったのかもしれないが、つくづく優しくない。

 

優しくなりたいなと思う。

他人の話を聞くようにもっと自分の話に耳を傾けて、なにをしたいか、したくないのか詰めないでのんびり思考や感情を泳がせてみよう。

 

Photo by エリー

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