今までいろんなところに住んできたけれど、合う土地、合わない土地があるなと思う。人や利便性もあるけれど私の場合は水だ。海の塩をはらんだ風が吹く場所、もしくは海の近くだと自分の体にあっている感覚がある。
海沿いでもなるべく時化の時以外は穏やかな場所がいい。あと山もあるとなおいい。
水の合う場所と書いたのはその土地の水を飲み、風や雨の影響を受けて生活するからだ。
私は小さいながらも港のある町で産まれたが、家は波の音が聞こえない山の麓で育った。それよりも父の実家はまさに窓から海がみえるような本当に海沿いにあった。父の実家に行くたびよく眠れた記憶がある。家族や親戚が自宅ではないから落ち着かない、眠れない、と夜遅くまで起きるなか私だけは爆睡だった。
大人になって今でも山に行くとあまり眠れないが、海に行くとやたらよく眠れる。
基本的に場所が変わると緊張して眠りが浅いタイプだが、海の近くだと本当によく眠れる。体の水に合っているのだと思う。遺伝子に組み込まれているのかもしれない。
パートナーは逆で山だと熟睡できるらしい。人によって水の合う場所があるのではないかなと私は思う。川の近くだと元気になるとか、市街地のほうがしっくりくるだとか。私とは真逆に荒々しい波の音が聞こえる土地に行ったらとても落ち着くという人もいるのだろう。
私は初めて訪れた土地でここの水は自分に合うな、と感じると全てがうまく行く感じがするし、実際その土地にいると魚のようにうまく泳げる感覚がある。逆にいいところだけど窮屈だな、水が合わないなと感じるといつまでも慣れない感じがする。
これも仕事でも同じで、水がきれいだから(ホワイトな環境だから)合うというわけではないということだ。水さえ合えば人間関係でまったく嫌な思いをしない、という場所も存在するのだと私は経験した。過去にどうしてこんなところで平然と何事もなく成果を出せるのか、と問われたとき、逆になにがそんなに不満なのかまったくわからなかった。人体の60%は水だ。それぞれ水の質がちょっとずつ違うからあう合わないが発生するのかもしれない。
そう考えると普段ブログを読みながら「あ、この人おもしろいな」とか「うーん、深い!すごいけど、なんだろうあんまり好きじゃないな」とか思うのは水の合う合わないを感じ取っているのかもしれない。私のブログに読者登録して毎回読むような人がいたとして、彼らは私と水が合うのだろう。読者登録してくれている人たちのブログを読んでいると洞察力や分析力や地道な継続力、苦境を笑い飛ばせるウィットにとんだ人たちなのでそういうとちょっと畏れ多いが、仮にどこかで実際にお会いしても嫌な気分はしないのだろうなという確信がなんとなくある。というか、すでにどこかですれ違っていて、一言か二言あいさつ程度に会話をかわしているかもしれない。
もしそうなら人間関係で「自分には居場所がない」なんて悩む必要はないのかもしれない。世界人口でみれば2023年で80億4500万人いるのだから、一人か二人くらいは水の合う人がいるだろうと思う。実際にはもっと高い確率でいるに違いない。
出会えるかどうかはわからないけれど、ちょっとわくわくしながら生きたっていいんじゃないだろうか。
Photo by すしぱく
水の断面と注がれる水のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20180201051post-15259.html