昨日何気ない会話を家族として
今日いつもより会話が少なかった
明日はどんな会話を家族としたいか考えるけれど、明日がくるかどうかは誰にもわからない
と、書いてみたけど本当に明日が来るかどうかなんて、明日も家族皆が生きているかどうかなんてわからない。私たちは明日も同じ日々がくると思って生きているけれど、一分先のことすら予想できない。
今日が最後かもしれないなんて考えもしないのだろうな。
私のようにあわや死にかけた、もしくはなんで今生きてるのかわからんような事が起きた人間にとっては1日1日が奇跡なのだけど、まあそんな出来事がおこらない割合のほうが多いのだろう。
毎日後悔しないように生きているつもりでいるけれど、今日で最後でしたって瞬間には後悔するかもしれない。それでも今を生きるだけだと私は思う。
死にたいというひとを、助けて欲しいと叫ぶ人を、"救おう"と思わなくなった分だけ私は少し成長したのかもしれない。もちろん結果的に助かったのなら幸いだが、代わりに自分が死んでは元も子もない。でもそれすらもわからない。
津波がきたりして、目の前の相手を見放さなければ自分が死ぬ状況がきたら私はどちらを選択するのだろう。そんなことを時々考えるが、答えは出ない。
身代わりだとか自己犠牲だとか、私は好きではない。そんなものでどうにかできるほど今の世界は甘くないと思っている。私の友人は自ら命を絶ったが、友人の命は友人のものだ。それをどうこうすることは私にはできない。助ける事ができるとすれば医師であるが、医師も万能ではない。
だからこそ、いま生きていることは尊くて、すごい事だと思う。
昨日、なにをしたかは昨日のことで
今日、昨日の連続でなくてもいい
明日、願わくば良い1日になりますように。