他人の頭のなか

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心理学を学んでいました、とか心理学の講師でした、とか人に話す機会があると、決まって言われる「え〜〜頭の中覗かれそうでこわーい」というセリフに何度苦笑したことだろう。

頭の中を見るのはどちらかといえば外科医の範疇であろうし、MRIとかとる技師の範疇であろう。脳機能学、脳科学は軍事に絡んでいるので、研究はかなり進んでいるだろうがそれらの情報が一般まで下りてくるのはかなり時間のかかる話である。

そのまま返すと「え〜〜真面目〜〜〜」とか言われるのがオチなので、「あのさ、頭の中見えるんだったらお金儲けのこと考えるよね?」と笑って返すのが私の鉄板である。

 

心理学、と一言に言っても結構範囲が広かったりして哲学寄りな部分もあれば、ちょっと神秘的な部分もあったりしてミステリアスな分野でもあるのだが、シンプルに言ってしまえば分析である。行動・思考のパターンを分析し、引っ掛かっているよくないパターンを修正するだとか行動を変えるだとか、あるいは商品を出すためにどんな層に引っかかりそうだとかそういうことをやるのが心理学だ、と私は認識している。

まあ実際はもっとディープなことや胡散臭い(と思われている)こともやっている分野であるので、「頭の中覗かれそう〜」というセリフは否定はしきれない。

フロイト一派だって医師な訳だしね。

ちなみにユングの赤の書は何度読んでも意味不明である。ごめん、ユング。私には解読は不可能なようである。

 

私は相手の視線や行動から次のパターンを読むということが得意だと言われるが、人なんていうのは意外とクセのある生き物であり、よほど突飛な人でない限り決まった行動しかしないものである。なのでそんなに難しいことではない。

そもそも、である。思考や感情を覗けたとして覗きたいだろうか?有意義な情報を得られるかもしれない代償として、目の前の大切に思っている人が実は私に悪意を向けている、憎悪を持っている、と見えてしまったら私はきっと耐えられない。というかめちゃくちゃ面倒くさくないか?それ。

 

だから結論として私は他人の頭の中なんて見えなくてもいいと思っている。どちらかというと円滑な距離感を保つためのコミュニケーションに役立つ方法、新しい手法の方が有意義だろうし、そうでなければ他人の情報を一時的にインプットして擬似体験するだとかそういう方が楽しそうだなあと思うのである。

 

共感力のない私だけども、他人のことがわかったらなあという気持ちはほんの少しわかる気がする。相手の不機嫌の理由やなぜ自分に辛辣な言葉を投げるのか、何を抱えているのか、それによって自分の心を落ち着かせたいのだと思う。誰だって傷つけられたくはないだろうし、なのに私たちは目の前の人の思考一つわからない。怖いのだろうな、と。

言葉は便利だが一番嘘をつく。会話をすればいいじゃないかというのは正しいが、必ずしも全てを語るとは限らない。そこらへん、うまいことAIが介入してくれる時代がいつか来ると私は信じているが、今のところはそうなっていない。そうなっていないのに人口だけはアホみたいに多いこの地球上で、私たちは共存していく必要がある。

実に難しい問題である。

 

とまあこざかしいことを書いてしまったけれど、私だって目の前のパートナーのことが理解できず、不適切なタイミング、言葉で傷つけてしまったり怒らせてしまうことなどしばしばである。で、その都度「わけわかんねーなあ」と思うのだが、一方でわからないことがまだあることに対して面白い。わからないままでいいや、と思うこともあるし、いやもっと知りたい、どうして?なぜ?と前のめりになることもある。きっとそんな私を周りの人たちは「こいつ何考えてるんだろうな〜」とかコーヒーやポテチを片手に考えているのかもしれないが、私だってそれは同じである。まあまあ、上手くやっていけたらいいかな〜というのが私の願望である。他人の頭のなかが見えたら便利だが、見えないなりに互いにそれなりに平和に生きていけたらいいと私は思う。

 

 

Photo by すしぱく

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