「それくらいできないの?」そう言われるたびに少しむっとする。
できるとかできないとか、そんなの向き不向きや体調不良とか技術不足とか相手の説明不足とかあるだろう、と。
最近Unityを使い始めた。その理由はclusterというメタバースでワールドを自分で作ってみたいと思ったから。ところが思いのほか難しい。Unityがどう考えても初心者向きでない上に、cluster公式が使い方を説明してくれているのだがすべて文章や画像でない上に動画中心、言葉の説明がないので途中でほかのサイトを開いて調べるしかない。
一応なんでも質疑応答できるイベントが定期であるのだけれど、時間が合わなくてどうしても参加できないのだ。
これをやさしい、だれにでもできるといっていいものか果たして悩む。
そういうことって結構たくさんあるんじゃないかと思う。
例えば料理。例えば運動。例えばパソコンの基本的な使い方。あげればきりがない。
私みたいな不器用にはできないことが多すぎて頭がしばしば混乱する。
その都度調べるという癖があるとはいえ、調べたことが役に立たないとことも多い。
パソコンなんかはしばしばアップデートするので、都度見直しが必要であり、仕様がまるっきりかわりました、なんてことも多いので追いつくのに必死だ。
追いつけない人を追いつけない人が悪いよね、というひともいるけれど私はそうは思わない。仕様が変わったなら幼稚園児でもわかるようにたとえをつかった説明が必要だろうと思う。
子供のころどうしても逆上がりができなかった。「怖がるなよ」「こんなの簡単だろう」先生もクラスメイトもいった。ついぞできないまま大人になって、ある時簡単に逆上がりができるようになる動画をみつけた。真似てみたらあっさり一発でできた。
さんざん泣かされたあの時間は何だったのだろうと思った。
人はしばしば自分のもつ能力を前提に話をする。
昔、「パソコンをたちあげてください」「はい、よっこらせ~」(パソコンを持ち上げる)というサポートセンターの嘆きサイトでそんな笑い話があったが、知らない人にとってはそんなものなのだ。説明する側はパソコンを起動する=電源を入れることという話を前提に話したが、なにもしらない受け手にとっては座ったりかがんだりしている姿勢から身を起こして立つ→パソコンを持ち上げるという発想になったのであろう。
これを今の私は笑えない。
無自覚で人に説明するとき、そういうことはしばしば起こりがちだ。
もっとやさしくありたいなと思う。
洗剤をいれる量やタイミングが分からない、切手をどこで買えばいいのかわからない、収入印紙の買い方がわからない、携帯=一律同じだと思い込んでてiphoneかandroidかわからない、ぐぐる(=googleで調べる)やり方がわからないetc...私が今まで実際に受けた質問だ。「こんなん簡単やで~」というのをこらえて「こうしてみ~」とわかりやすく説明することのいかに大変なことか。
専門ではない分野を説明するのは本当に難しい。